An Unsealed letter for Dr. Narita on his article "On Cases in U.S.".
NOTE

成田博先生の『米国の判例集について』への公開書簡

----------- * -----------

この「公開書簡」は、成田 博 東北学院大学教授のかかれた論文『米国の判例集について ──書誌学的考察・序説──』(東北学院大学法学政治学研究所紀要 第9号 2001年2月 83-93頁) に関するものです。三月の末に成田先生から抜き刷りを頂いて以下の問題点の存在に気がつきました。成田先生へ感謝申し上げる次第です。

「公開書簡」は、論文中で指摘された諸点について先生のご指摘のとおりであることを確認し、また、確認しきれていない部分についてもわかる範囲でこたえたものです。わたしの研究の至らなさを示すものではありますが、仮に次回「コピーライトの史的展開」を改訂する機会があれば、きちんと対応したいと思っております。

『米国の判例集について』で指摘された誤りおよび問題点

『米国の判例集について』の目的は、コンピュータによって検索可能な電子的形態の判例集が、実際の判例集と同一でないことを示し、「原典にあたらずに、LEXISあるいはWESTLAWによって引き出された情報が原典と同じであると考えることの危険性を指摘 (85頁)」することにある。

この実例の一つとして、「コピーライトの史的展開」でも用いたWheaton v. Peters 33 U.S. (8 Pet.) 591 (1834)を挙げ、この判決には次の事実が存在することを指摘する。まず、「公式」とされる連邦最高裁判所判例集には、複数の版(version)が存在し、それぞれ内容が異なっている。Wheaton v. Peters事件における「問題のBaldwin裁判官の意見は698頁から始まるが、第3版では、698頁の次の頁は、699頁ではなく、698a頁であり、以下、まさに日本の枝番号と同じで、698z頁まで続き(ただし、なぜか698f頁だけは抜けている)、そのあとは698aa頁、そしてその次が698bb頁で、ここでWheaton v. Peters判決は終わり、そのあとに700頁が来る (86頁)」。ところが、Lawyers' Editionと呼ばれる「速報版」および、判例データベースであるWESTLAWおよびLEXISシステムでは、「699頁が存在し、Baldwin裁判官の意見も2頁分しかない」。すなわち、699頁が存在する判例を用いていることは、「公式」判例集を参照していないことを示すわけである。

しかも、こうしたことは専門の研究者には常識的な事実であり、通常の研究者であれば、論文中に引用する場合、版を特定しつつ書くのは当然であり、通常のリサーチを行えば、Wheaton v. Peters事件において複数の版が存在することに当然気がつくはずである、と指摘する (87頁)。

そこで、その常識を欠いた研究がわが国でまかり通っているのは問題であるとして、あげられているのが私の「コピーライトの史的展開」であります。以下箇条書きに成田先生のご批判を掲げます。

(1) 私が「公式」判例集の原典にあたっていないこと。また、版に異同がある点について認識がなかったこと。

(2) Petersの判例集は、Wheatonの判例集だけを復刻したものではないこと。「コピーライトの史的展開」338頁の「ウィートンの判例集の第1版と第2版の計24巻を6巻に要約した」という記述の誤り。

(3) 「コピーライトの史的展開」338頁脚注に挙げられている、「Peter's Report at January Term 1827」は、ただしくはPeters's Reports at January Term 1827であること。

いずれも成田先生のご指摘のとおりで弁解の余地もありません。そこで以下の手紙を成田先生あてに送りました。

私から成田先生への公開書簡

成田 博 様

拝復

ご玉稿送付くださり、ありがとうございました。論文でご指摘の点、研究者の端くれとしてまことに慙愧の念にたえません。冒頭に引用されていた『外国法の調べ方』の記述程度の認識であったことを正直に申し上げましょう。

さて、特に私の論文について言及されていた87ページ以降の諸点について現在の私が分かる限りを説明申し上げます。

まず、論文執筆のさいに依拠したデータは、West Pub.のデータに基づいてCD-ROM化されたデータベースをアメリカから個人輸入し、それを使用したものです。それゆえ、おそらくWESTLAWデータベースのものと同じデータだと思われます。オンラインでWESTLAWを使わなかった理由は、大学院生であり高額の使用料を支払えなかったからです。件のCD-ROMの価格はおそらく10万円程度でありました。未熟な私は、「これほどまでの投資を行ったのだから、我がPCにすくなくとも1980年代ころまでの判例集がおさまったも同然である」と考えました。

該当部分を少しだけ転記しておきます。

.... from the date of the recording thereof in the clerk's office of the district court, cause a copy of the said record to be published in one or more of the newspapers printed in the resident states, for four weeks; and whether the

[699]

said Wheaton or the proprietor, after the publishing thereof, did deliver or cause to be delivered to the secretary of state of the United States, a copy of the same, to be preserved in his office, according to the provisions of the said third and fourth sections of the said act, and ....

とはいえ、博士論文として提出するものですから、一橋大学図書館閉架書庫に収蔵されている膨大な(そしてかび臭い)判例集との格闘も行いました。あまり有名でない事件、たとえばEwer v. Coxe等については、コピーを取り寄せ判例集との対照も行ったはずですが、Wheaton v. Petersのような著名事件について、その作業がなおざりになってしまいました。あるいは、ご指摘のように一橋大学図書館が収蔵している判例集が「699頁をもつもの」であった可能性もあります。この判例集の版については、OPACに登載されていないゆえ、実際に一橋大学図書館に出向いて確認しなければなりません。

Joyce論文、Patterson論文での引用「33 U.S. (8 Pet.) 591」については、私の論文のイギリス編において判例集が複数存在し、その記述に異同があるという点について認識していたので、8. Pet. なる判例集があることに注意すべきでした。しかし、上記の認識のゆえにその重要性を見落としていたことを認めます。それゆえ、「特に注記のないところからすると、版によって内容に違いがあることについては認識が」なかったわけです。

順序が後先になりますが、二点目として「Petersが1834年に別途刊行した」書物については、私の文献データベースに入っておりません。ということは、論文執筆時に参照していないわけで、リサーチが足りなかったというお叱りを甘んじて受けたいと思います。

第三点目、いわゆる『要約判例集』の件です。私は論文執筆にあたり、複数の文献を参照し、その記述の確かさをはかりながら書き進めたつもりです。が、その手法が次のようなものであったことを説明させていただきます。まず文献のメモや翻訳をコンピュータのファイルとして作成し、ハードディスクに大量に格納します。つぎに、論文の「部品」となる節や小節を執筆する際にキーワード検索を行い、同じ論点について論じている様々な論文の部分を発見します。そしてそれらの論文を参照しながら執筆をすすめるわけです。京大カード方式のコンピュータ版ともいえるかもしれません。もちろん、複数の文献の記述に齟齬があれば、さらに原典にあたるという方法ですすめていきます。

ご指摘の部分は確かにGoldstein教授の論文に依拠した部分ですが、「第1版と第2版の計24巻」という記述がいったいどの文献に依拠しているのか、現在の私には分からなくなってしまっています。これは私の過失以外のなにものでもないでしょう。

続いてPetersの刊行した書名の誤りの件ですが、もちろん「Peters's Reports at January Term 1827」であることはまちがいありません。実際、件のCD-ROMデータのなかでも正しく記述されています。書名を転記するにあたって、Goldstein教授の著書から引いたことに加えて、私がtypoを入れてしまったのでしょう。

以上で私の論文に対する批判に私なりに正直にお答えしたつもりです。おそらく先生であれば、私の拙い論文からさらなる誤りを見つけられるに相違ありません。

学部生時代から抱き続けた問題意識をもとに、ある種の使命感から取り組んだ研究でして、私としては全力を尽くしたつもりです。とはいえ、複雑怪奇な英米法に取り組むにあたって力不足があったことは事実です。とくに多くの矛盾と謎を含むイギリス判例を取り扱う部分から、大幅に改善されたと考えていた(論文執筆時のアメリカの判例集システム程度の信頼性を過去にも期待してしまったという趣旨です)アメリカ判例を取り扱う部分にうつり、とくにCD-ROMを入手していたこともあり判例の取り扱いについて油断が生じていたことは間違いありません。深く反省するところです。

博士後期課程を終える論文として書かれた「コピーライトの史的展開」ですが、はからずも出版の話をいただき、これまた私の「こだわり」から(そして実際上も専属の編集者や編集協力者を得ることはできなかったわけですが) 大学へ提出した論文を、ほぼそのまま出版してしまったことが今となっては残念に思われます。

いやしくも著書として世に出す以上、完璧を期するのが研究者としての誠意だと思いますゆえ、先生からご指摘いただいた点については、遅くとも5月連休あけころまでには、私のWebページにて上記の諸点について発表したいと思います。こうすることによって私の著書に対する批判的研究が始まり、さらなる誤りが見つかる中で、英米法系著作権法史研究が充実していくでしょう。また、仮に『コピーライトの史的展開』を改訂しうる機会があれば、それまでに現われた批判に応えるよう努力したいと思います。

こうしてお手紙を書いていて思うに、5年間でまとめることが期待されている論文のテーマとしては大きすぎたような気がしております。しかし、『コピーライトの史的展開』は1998年に出すべきであったという思いは変わりません。拙速のそしりを免れない論文ではありますが、先生のご鞭撻を賜りつつ、より良いものにしていきたいと思います。なにとぞ今後ともご指導賜りたくお願い申し上げます。

敬具

2001年春

白田 秀彰

----------- * -----------

to Hideaki's Home