(もう一つは見つからず) が立ったみたいですけど、途中から見事に脱線しましたね...
[福] 罵倒合戦になってたものもありました。
[白] ネットではまともな議論ができない、という意見がありますけど、リアルでもまともな議論ができない学生さんがほとんどなわけでして。まずディベートの作法を初等教育からしっかり教えないと。
清水 (以下[清]) でも初等教育では学校の先生の言うことを、とにかく鵜呑みにするように教えてますから。一般的に、議論をすることがあまり好まれないので、きちんとした議論をした経験が少ない。だから、論点の把握に失敗してたり、枝葉末節部分だけにレスがついたり。でも、きちんと議論ができないのは、大学の先生の責任でもあるのではないですか。
[白] そのとおり。でも、今、大学では学生を叱ると先生が叱られる時代だからねぇ... さて、本題にもどらなきゃ。講義でも話してることなんですけど、貧弱なネットワーク環境の時代の方がルールが明確で、しかも守られてるんだよね。なぜかというと技術的な制約が大きかったため、利用者の行為の自由度が低かった。だから、技術環境を背景に「いかに振舞うべきか」の指針が立ったんだよね。でも、今のネットワーク環境はとても利用者の行動の自由度が高いから、道徳や倫理の発生するポイントが定まらない。
横田 (以下[横]) それってリアルでも同じなんじゃないでしょうか。今の日本は豊かで自由だから、その自由さのためにルールが守られにくくなってるように思います。ルールが守られなくても社会的なシステムがなんとかしてくれる、という感じですか。社会的なシステムによるフォローが、社会を構成する人々の知覚を失わせる結果となっているとも言えると思います。
[白] そういう傾向はあると思うね。これが進むと『情報自由論』で東浩紀さんが言ってる環境管理型社会になるんだろうと思う。秩序を形成するために意図的に「自由」の形態や程度を操作する社会。
[清] 話は大きくなってしまいますが、日本の近代教育システムの制度的欠陥であるとも思えます。
戦前、一部のエリートしか高等教育を受けられなかった時代から、戦後、大衆教育社会へと中身に関する大きな変容がありました。それにもかかわらず、大衆化に伴う道徳・倫理面の意識格差拡大をどのように調整するのか、議論の場の形成や運営の形態をどのように行なうのか、といった問題を焦点化できなかった。このため、適切な議論の方法など、エリートの狭い範囲でしか運用されていなかった暗黙のルールを、大衆化した状態に拡大して適用させてきたことの、負の部分が表面化しているともいえるのではないでしょうか。
ネットや教育などに限らず、時代や環境の変化に伴うパースペクティブの転換期である時期に、どれだけ道徳・倫理面の理論再構築をできるかで、その分野におけるその後の成長の可能性が決まってしまう気がしています。
[白] 情報化というインパクトを受けて、社会は環境管理型に向かって進んでいるみたいだ。でも、私は、人々が個人として成立し主体的に思考・活動する、という近代のモデルをやっぱり支持したい。でなければ、我々がこの世界に存在する意味がほとんど無くなってしまう。単に誰かに支配されて動かされる存在であるなら、牧場の羊とたいして違いがない。
確かに道徳・倫理について理論的に構築するという仕事も重要だよな。清水君の認識だと、我々は、大衆化段階において、すでに道徳・倫理の理論的再構築に失敗しているわけだし、仮に情報化社会に対応した理論的再構築に成功しても、これを一般化するのは相当に大変な仕事だろうと思う。「情報倫理」が注目を集めているのも、この重要さと大変さが認識されはじめたからだろうね。
平田(以下[平]) あと、もしかしたら、ネットワークに固有に発生している問題は、技術が発展してサイバーとリアルの区別がなくなるくらい融合すればなくなるんじゃないか、という意見もありましたね。
[白] 確かにそうかもしれないけど、逆にネットワークで発生している諸問題がリアルでも問題になるようになるね。最近注目されるようになってきたユビキタスという技術構想では、サイバーでの有利な特性をリアルにも及ぼそうとしているわけだから、今、ネットワークで起きてる問題について考えることは、将来のリアルでおきる問題を先取りすることにもなるかもね。
[横] なんか、キリ番ゲットのときの報告義務に関する投稿がありますね。
[白] そんなルールがあるのか。でもなんでサイト管理者は、キリ番を誰が踏んだか気にするんだろう?
[平] 「誰が踏んだか」というよりは、「キリ番を踏んだよ」という相手方の申告が帰ってくるのを気にしているような気がしますね。個人のWebサイトは究極的には自己満足のためのシロモノなわけですが、管理者にとっては自分が善意で他人に何かを提供しているという感覚が強いために、他人の反応がないと不安になりがちです。キリ番報告は不安の解消という役割を果たしているのでしょう。こういうプラスの効果があるので、管理者は大抵キリ番ゲットした人間に好意的な対応をとります。創作、特にイラスト系のサイトではプレゼントをしたがるという傾向がありますね。
[福] プレゼントしたいのか(笑)。
[白] 自己満足のはずなのに、いつの間にかそこから主体性が抜け落ちて、携帯メールの交換の時のような「繋がりたい」心理の方が強調される、ってことなんだろうか。
[清] 「デンパな人に掲示板を荒らされて困った」という投稿があります。
[白] レッシグ先生が言ってるような電波帯域の開放問題も大切だけど、デンパの問題も重要だよなぁ。デンパの人は強いよね。
[平] デンパの人にも色々いますが、共通していえるのは「他人の意見を聞くつもりがない」ことですね。他人と妥協するつもりがないわけですから、その意味では最強です。
[白] これはネットワーク固有の問題というよりもリアルの問題でもあるんだけど、ネットワークだとデンパの伝達速度が速いから。しかし、この手の問題は、今のところどうしようもないよねぇ。気の毒に、と申し上げる他ないです...
[平]ただ、ある程度タイプ分けは可能なんじゃないでしょうか。例えば、「では、貴方は私の意見のどこまでなら賛成していただけますか?」という質問をしてみるとか。これに対して無回答、ないし『バカじゃねーの』的な発言が出たらまず故意的な「荒らし」でしょう。黙って削除、あるいは法的措置がいいかと。
[横] 「2ちゃんねる には 地下スレ という非公式ルールがあります」という投稿が。
[全員] 初めて聞いた。
[白] sage 進行とは違うんだろうか。
[横] ちょっと読み上げます。 部分的に端折りますけど。(0) ルールの内容 / 本職の作家が書き込む際は語尾に「ワナビ」を付ける。現在は「パイナポー」です。(1) いつごろ、/ 2001 年中 ライトノベル@2ch掲示板での1つのスレッド内のルールです。スレッドが代替わりしても続けられています。(2) 誰あたりがそういうことを言い出したのか。/ スレッド内の一人(恐らく作家)(3) そのルールの理由や根拠は? / ライトノベル板は読者のための場所であるため、創作論等々の議論で無駄に高回転でスレッドを乱発する作家志望の者は嫌われています。特に性質の良くない者は「ワナビ」と呼ばれ嫌われていました。さて、本職の作家連中が地下スレを再利用して会話していた所「お前ら作家じゃなくてどうせワナビだろ」と煽られました。そこで作家の一人が語尾に「ワナビ」と書きはじめた所定着したものです。
[白] ライトノベル板かぁ。
[小] ワナビは want to be ということで判るんですけど、なんでパイナポー (pineapple) なんでしょうか?
[白] サッパリ判らない。ワナビ→パイナポーの展開って自然なものなんだろうか? こういう理解不能ルールの事例を集めてみるのも面白いかも。そういえば「ぬるぽ」ってどういう意味なんだ?
[平] 判りません...
[全員]... (ミーティング後わかりました)
[白] 「コテハンがプラスにならない」という投稿で、こんなこと書いてあるよ。「コテハンさんは.... 名無しさんたちがコテハンさんをリスペクトする理由にはならないみたい。『2ちゃんねるの匿名性のゆえに守られていた共有地に柵をたてるヤツ』みたいに思うのかも」とのこと。
三山(以下[三]) 誰も責任を持たず、誰もが主体性を掲げずに共有になっている状態が理想、という感覚でしょうか。分からなくもないですが、その場合、その思想はどこから来るのでしょうね?
[白] 仏教でいうところの「空」の話を思いついたよ。存在とは「空」である。ただ「縁」が形づくるネットワークが存在を生み出す、というような考え方だったと思うけど。主体を滅却した「空」こそ価値のある存在なのかもしれない。もともとネットワークという存在自体が、一人一人の人間、一つ一つのデバイスの「縁」で繋がれた「空」であるわけだし。
脱線するけど、同じ投稿に例として出てる「ビスケたん」の話は、示唆的だなぁ。「ビスケたん」というキャラをあるコテハンさんが紙媒体に紹介したら、そのスレを成長させてきた名無しさんたちから不満が出た、っていう話。君たち「ビスケたん」って知ってる?
[横] 聞いたことはありますけど。...今検索してみます。ありました。フラッシュがあります。見てみます?
(全員ワラワラと集まってノートPCの画面を見る。)
[全員] ...そうですか...
[福]って、ああ。このキャラ、『Winny娘。』っていうWinny特集誌にでてたキャラじゃないですか。僕はこのキャラのトレカ、「ビスケたんちょっと大人」とかいったかな、それを持ってますよ。単にWinnyがどういう風に扱われているか知りたくて買ったんですけど... 今度持ってきますね。
[全員] いや、いいから。
[清] 次の投稿も「どの板を巡回するかの選択自体が一つの意思表示と、その人の個性になります」とありますね。
[白] いったん外界から自分を切り離して、単独の存在として自分は何者なのかを問う西洋型の主体観とは違うあり方だね。その人自身がどうあるかではなくて、その人が外界とどのように関わっているか、がその人を形づくるということ。西洋型存在観と東洋型存在観と言ってもいいのかな。
[平] 次の投稿には「名無しだって評判の高い人はいる。負の名誉を重視している人もいる」とあります。
[白] それについても、固定された主体を打ち出しているというより、「縁」とのかかわりの中で自分をどのように位置付けるかを最終的には強く意識してるんじゃないかな。
[三] けれど、自分を存在させているその「縁」が、実は自分自身の選択の結果であって、単に自分を映している鏡に過ぎなかったとき、「自分の見ている自分」がいる認識世界に落ち込むことになりませんか。
[白] なるでしょうな。だからネットでは、デンパさんが加速してしまうもかもしれない。その危険は私自身にもある。反省しないと。
[小] 毎回の「お題」に具体性を持たせた方が、意見がたくさん集まるよ、という指摘が来てます。
[白] うーん。お題を出した後に執筆してるんで、あまり具体的に「お題」を設定しにくいという事情があるんです。
[小] あと投稿をちゃんと記事に反映させないと投稿が途絶えるよ、という指摘が。
[白] これもねぇ。頂いたメールにはちゃんと目を通しているんですけど、本文に反映させにくかったりとか。まあ、だから今回ちゃんとお返事さしあげようとしているわけなんですが。さて、そろそろ手強めのメールに移ろう。
[横] HotWiredでも記事をかかれてた津田大介さんからメールを頂いてます。
[白] 津田さんからは、著書『だからWinMXはやめられない』も頂きました。ありがとうございます。正直、MXで違法な画像ファイルをやり取りする同書の主人公の生活描写には、ぐったりさせられる面もありました。ファイル交換のかなりの部分が違法行為であることを別としても、もう少し意義のある生き方がありそうな気がします。けど、MXのマニアたちが仲間内でたいへん礼儀正しいことと、ファイル交換の目的は「お宝」を交換すること以上に、人間関係を作っていくことに面白さを見出してることがよく理解できました。
[平] これも、当初の自己満足から「繋がりたい」心理に、という流れと関係しているとは言えないでしょうか。
[白] 交換した画像ファイルを視聴するよりも、「交換・収集」のほうに喜びを見出してるわけだから、同じだと思う。
[横] MXユーザーが礼儀正しいとか几帳面である、という投稿が学生さんからも来てます。
[白] 共同で違法行為をしてる、っていう感覚が必要以上に紳士的な態度を生み出しているのかな。でも、イケナイことだと思ってるのなら、やるべきでないと思うね。視聴するあてもないファイルを集めるよりも、もっと実のあることっていっぱいあるような気がするんだが。津田さんには、いずれ茶会にも来てただけるようお願いしよう。でも、しばらくみんな忙しいんだよね。
[小] 論文提出やら試験やらを控えてる人がいっぱいいますからねぇ。
[平] 「元ネタを指摘することはあまり望ましくない」というルールが寄せられてます。この投稿は、前にでた「キリ番ゲット」ルールの投稿と同じ人からのものです。
[白] ネタバレ禁止のこと?
[平] たとえば他人の作品Aをもとに作成された A'を公開している人に対して、「それって元ネタはAでしょ」と言うようなことを意味しているようです。
[白] それって一般性のあるルールなのかな。そういうルールが成立しているところはあると思うけど。
[福] ネットワークでの言論が右傾化傾向にあるんじゃないか、というような指摘があります。
[白] ネットワークでの議論は、同じ意見の人間が同じ場に集まる傾向があるので、意見が先鋭化しやすいというね。あと、リアルの方では表立って表明しにくい意見が、ネットでは表明しやすいというのも事実。すると、リアルでは基本的に左翼中道が社会的に容認されうる見解ということになっているから、ネットではそれ以外の極左か右翼中道から極右の意見がはじめて議論の場を得ることになる。それが先鋭化する傾向があるから、右翼的言論がひどく多いように見えるのだと思う。
[福] この人、いっぱい事例を挙げてくれてますよ。
[小] ほんとだ。
[白] このあたりの流れにピンときた貴方。良ければ茶会に来ませんか? 春休みが来て、みんなに時間ができたら、茶会が出向いてもいいですけど。連絡ください。あと、事例に懐かしい名前が出てるな。「ヘミねこ」といえば...ね。
[平] 吉野家プロトコルに関する投稿が来てます。吉野家プロトコルの元ネタが、「ハイパーテキスト・コーヒーポット制御プロトコル (RFC2324)」でしょうか、というものです。
[白] これ、わかりません。
[福] それよりも、「鳥類キャリアによるIPデータグラムの伝送規格 (RFC1149)」の方が元ネタだと思いますよ。これは本当にパケットの転送に成功したというプロトコルです。確かスレッドの方でも... あ、これですね。
[白] 「権威と典礼」の回に関連して、この方が言うには、伝統化、権威化、プロトコル化は、混沌から時間をかけて作り上げるべきとのこと。むしろ問題は、定められた典礼の周辺で発生する別文化との摩擦である、と指摘してる。仰るとおりなんです。私たちがじっと待っていれば、おそらく50年から100年で一般的なルールらしきものは自発的に形成されるでしょう。でも、(1) 目の前の紛争といった現在の問題をどうするのかという視点と、(2) ルールが定まらないうちに、誰かがルールが形成されるだろう「場」の方を操作して、ルールの生成を歪める危険があるという視点の二つが悩ましいところなんです。で、とりあえず典礼の部分だけでもどうかしたらどうかな、という提案をしたわけで。
[平] この人も「突っ込んだお話を」とのことです。
[白] そうかぁ。じゃ、読者会でもやる?
[福] 検討してみましょう。
[三] 「辛辣な批判」が来てますよ。投稿した人のWebサイトにその批判があるようです。
[白] 誉めてるだけの投稿じゃなくて批判が来ることは大歓迎。...
...「知的財産権制度と封建制について」の回は、「論理のすり替え」になってるかなぁ。この方がそういうのなら、そのようにも読めるのだろう。この点については反省します。でも、この方にはぜひ『コモンズ』を読んでもらいたいなぁ。
... あと、これだけは反論させてもらおう。私が「自分の研究成果が収入となっていると勘違いしている」ということはありません。この後の部分、「基本的には学生からの授業料、つまりは、学生への授業の対価として収入を得ている。つまり、授業と言う自分の知識とノウハウをパッケージした商品によって収入を得ているのであり、広い意味では知的財産権を商売にしているのだが」というあたり。前半はそのとおりなんですけど、後半は間違ってます。授業は「知識のパッケージ」の販売ではありません。肉体労働です(苦笑)。
[三] 次は、ディープリンクの問題が。
[白] これ、法的には具体的に何らの規定もない。リンクを張ることには複製行為すらないからね。だから自由が原則。次にネットワークの慣習とアーキテクチャのいずれから見ても、リンク先が技術的方法によってリンク不能にしていない限り、どのようなページにも勝手にリンクして良いってのは常識に属することだと思う。
ただ、著作権を根拠にディープリンクを禁ずる理屈というのも想定できなくはない。著作者は作品を「所有」しているのだから、あるいは著作者は作品に人格を反映しているのだから、その「複製物」の使われ方についても支配権を持つべきだ、と主張するような人たちがいて、その人たちの理屈だと、使用者がどのようにその作品を鑑賞するかをコントロールする権利があるということになる。しかも、そうした主張を法文から「解釈」で導き出したりすることができる。多分、同一性保持権あたりを根拠に唱えるんだろうと思う。
[平] 法律というと、何か数学の公式のようにどこかでポンと妥当な解釈が出てくるようなイメージがありますが、実際には一定の価値観を「解釈」というオブラートに隠して主張している場合がほとんどですよね。それ自体は悪くないし、説得のためには必要なことですが、いわゆる伝統的通説がない法律の場合、実は何でも言えてしまうところがないわけじゃない。
[白] どんなに間違っててヘンテコな理屈でも、何度も何度も粘り強く唱えつづけていくと、だんだんそっちの方が正しいということになる。だから、組織力と資金力があれば「正しさ」すらも制御することができる。戦前のドイツの宣伝大臣は、「ウソも百回唱えれば本当になる」と言ったらしいけど、歴史をみるとそれが事実だということも良くわかる。だからこそ、私たちは「あたりまえ」だと思ってることを、いちばん日常的な行為や活動の視点から、常識の視点から見直さなきゃならない。
[横] 先生! 「著作権が厚く保護されるのはそれが人格権だから、という理解でいるのですが」という投稿が。
[白] うーん。著作者人格権というものがあると、それが人格権の一部なんだ、と思ってしまっても仕方がないよ。この人が悪いんじゃない。実際に著作権は人格権だ、という学者もいるし。そう主張する学説だって、その視点からはきっちりと筋を通したものだ。でも一方で、しかるべき地位にいる人ですら「著作権は人権です」とか、「アメリカでは知的財産権は憲法で保障されてます」とか、専門家なら噴飯ものの発言をしたりしている。素人は知らないから信じたりしちゃう。私たちがボーッと話を聞き流していると、いつのまにかとんでもないことになりかねないよ。
ちなみに、知的所有権/財産権という言い方も、私たちに一種の先入観を与えている。いま知財といわれているものが、本当に「人間の知的いとなみ」によって生まれたものかを考えなくちゃいけない。著作権法や特許が与えている法的な保護が、所有権や財産権といった概念と同じ物であるかどうか、ちゃんと考えなくちゃいけない。もっと言えば、所有権という概念自体もじつに曖昧で定まらないものなんだよなぁ。ま、この話はいずれどこかで。
[平] 「新しい音楽配信の形態について考えてます」っていう投稿が。
[白] ぜひぜひ頑張ってもらいたい。今の音楽業界が恐ろしくいびつな状態であることは、音楽に興味のある人なら誰でもわかってると思う。世界的に見ても高額な日本国内でのCDの価格。エラーを混入してわざと音質や機能を損ねたCCCD。最近は、日本国内に海外から入ってくる安価なCDを規制する仕組みなんかも検討されているようだ。いくら日本の消費者がおとなしいからといって、あまりにもバカにしてるんじゃないだろうか。
CDが売れない、っていうけど、ヒットチャートに挙がってくる楽曲はどれも有力事務所のアーティストたち。判で押したようなありがちな曲調。今の大学生で音楽に興味のある子は、たいていインディーズを買ったりライブハウスでの生演奏に行ってるよ。彼らはそれなりに音楽にお金を使ってる。それが大手レコード会社にまわらなくなってるだけ。CD-Rによる複製の影響がまったくないとは言わないけどね。
こんな状態で、もし、海外からのネット音楽配信やネットラジオ事業が本格的に立ち上がってきたとき、国内の洋楽市場が壊滅する可能性すらあるんじゃないだろうか。もう、ディスクを輸入する必要すらないからね。そのとき、音楽業界は海外からのネット音楽配信を規制する法律を求めるんだろうか。
[清] 「音楽愛好家のために産業がある」という基本に立ち返ってもらいたいですね。
[三] すごい投稿が。「市場の倫理」と「統治の倫理」の対立について指摘したものです。
[白] う、これは今回のようなサクッと投稿にお返事差し上げる回では対応できない。また、後の回でちゃんと検討させていただきます。お待ちくださいませ。
[平] あの... 元政府関係の方から、e-commerceに関する紛争解決ネタをお願いします、という投稿が。
[白] わあ、電子商取引関係はフォローしてないからなあ。これまた、いずれ本格的に対応できればしてみたい、というところでご勘弁願いますです。
... といいますか、私は「情報法」を看板に掲げて先生やってるわけですけど、もう全方位的に対応するのは不可能だ、という感触があります。その中でどっかにポイントを絞ることを考えてます。でも、その前にこれまでやってきたことを棚卸するつもりです。
[三] も一つ批判投稿です。「白田先生は、私有財産制度に大賛成で『所有』の概念がないのは野蛮人だとのことですが、それでは土地の所有の概念がない世界の遊牧民族やアメリカ原住民は野蛮人ですか」とのことです。
[白] うむむ。どうもこの方は、私が使った「野蛮人」という言葉にこだわってますね。「知的財産権制度と封建制について」の文章が「知的財産権に対する認識が低いのは先進国の国民として問題だ」という良くある主張への皮肉になってるのがわかっていただけなかったようです。これは私の書き方が悪かったということでしょうね。
[三] 先生の書き方には、なんか独特の癖がありますよね。
[白] 反省しますです。それにひきかえ、レッシグ先生のプレゼンの上手いこと。かないません。レッシグ先生がやってる範囲はもう先生にお任せして、私はどっかのニッチを探した方がいいと思ったりしてます。
[平] 最後に。投稿の常連さんから「メール激増、おめでとうございます」という投稿がきてます。
[白] えー、実はまったく激増してません。でも、わかりました。もしガンガン投稿が来てたら、この連載はもっともっと大変だっただろうということが。何事もほどほどがよろしいということですね。
さて、これまでちゃんと対応してなかった投稿へのフォローは、これでだいたいできたと思います。それではみなさま良い年をお迎えくださいませ。そういえば、年明け最初の記事のネタ...
まだ考えてません ...
告知
この回も「告知」を掲載したかどうか、よく分からなくなってます。当時の告知文をお持ちの方は連絡くださいませ (2008/4/11)