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論文執筆後記
あるいは闘う大学院生(;o;)

修士論文のときも論文の整形・印字では大騒ぎになったのですが、今回もやはりすんなりとは、論文が書けませんでした。

修士論文のとき...

修士論文のときはEPSON Note-Fがメインマシンだったのです。このパソコンの能力(V30相当、EMS拡張で640K+4M) ではTeXが動作しなかったので、XTRという文書処理システムでLaTeXのエミュレータを自作し、これで印字するつもりでした。ところが原稿用紙400枚オーバーというバカみたいに長い論文を書いたために、メモリオーバーで全部の論文を処理することができないというトラブルに12月も末になってから直面しました。

TeXをお使いの方はよくわかるとおもうのですが、テキスト・フォーマッタ(まあTeXもこれの一種と言っていいです)というシステムは、文書の頭っから尻尾まで一括して処理するから便利なのであって、分割して処理するとなんのために使っているのかわからない、という代物なのです。私は、必死になって神に祈りながら、いろいろなパラメータを変えたり、XTRのコマンドを減らしたり、プログラムを簡略化したりしながら、苦闘していました。そして午前四時、今でも「暁の奇跡」と私が勝手に呼んでいる奇跡がおきて、論文を処理することができました。

プログラムはもうどうしようもないほど単純化され、簡略化されました。メモリもギリギリまで空けられました。それでも処理できなかったので、私は、コンピュータに「念」を送りながら、神に祈ったのです。するとそれまで通らなかった論文が、一回だけ通ったのです。それまで通らなかった論文が通ったのです。プログラムには変更はありませんでした。そしてコンピュータというものはロジックで動いているはずです。しかしながら「念」と「祈り」で文書は通りました。一回だけです。私はそれ以来、コンピュータは使う人間の「念」と「根性」で動作するものと信じております(笑)。使う人間に「気合」が欠けている場合、人間を馬鹿にするのは、馬もコンピュータも同じです。

そして博士論文

さて、博士論文執筆の段階でおきたトラブルとはなんでしょう?それは「マーフィーの法則」の真正性を確認したことになります。

予感がありました。最近なんだか愛機「Swiftμ(Chaplette iLuFa350と同型)」が息も絶え絶え仕事をしているなぁと感じていました。HDDが時々異音を立てることがありました。でも、論文提出期限の1月16日まで持ってくれると思っていました。

ところがです!!よりによって12月31日の未明、突然愛機Swiftの電源が入らなくなったのです。ノートパソコンは、電源管理システムを持っているので、電源のON/OFFも単純なスイッチではありません。だから、接触不良とか、そういう次元のトラブルではないのです。

修士論文のときの教訓もあり、私は都合3箇所のバックアップデバイスを備えており、幸い執筆した論文は3箇所に分散して存在していましたから、論文それ自体には影響がありませんでした。しかし、執筆に使えるパソコンはこれ一台だったのです。他に選択肢はありません。私はなけなしの預金を全額おろして、秋葉原に走りました。そして12月31日の午前中にはIBM ThinkPad 535のユーザーになりました(;o;)。

Think Pad

さて、コンピュータを買ってきたから、すぐに作業が開始できる、なんて思っている人は、素人さんでうらやましいばかりです。私のようにマニアな利用者は環境をバキバキにカスタマイズしてあるので、ハードが代わると、「環境の移行」と呼ばれる作業をしなければなりません。大抵の場合は、現用マシンがあって、新マシンがあって、楽しくパズルでも解くように、メモリの最適化や資源の割り振りなどを工夫しながら、2,3週間から、数ヶ月をかけてじっくり「移行」するわけです。 ところが私はTP535を前に、できるだけ早くかつての環境を復活させなければならない。しかも、論文の執筆で押し迫っているのに関わらず、論文の進捗には関係のない作業をしなければならなくなりました。私は12月31日の午後から作業を開始しました。TP535に入っていた Windows95も試してみましたが、Pentium133をつんでいるのに、とろとろとしか動作しないのと、OSがいらぬ親切をしまくるのに頭にきて、ただちに Windows95はディスク上から消滅しました。そしてバックアップしてあった Win3.11改の導入に方針を決定しました。

それから地獄の不眠不休不食(茶とコーヒーだけは飲んだ)の 2日間が始まったのです。私は時間感覚が狂い、3日間かかったものだと誤解していました。1月5日までに私からE-mailをうけとった人は、私が一日先の日付でmailを出していたのに気付いたことでしょう。この地獄の2日間、私は悪鬼のような形相でコンピュータと取り組んでものと思います。まさに鬼気迫るという感じだったに違いありません。そしてどうにか論文執筆やその他の作業に支障がない段階まで「移行」するのに実質的に4日かかりました。論文の追い込み段階で4日のロスは致命的です。

そして、このコンピュータトラブルによる体力消耗戦の4日の後、私は休む間もなく論文の執筆に着手しなければなりませんでした。まさに闘いです。煙草の消費量は目にみえて増え、食事も睡眠も不規則になり、とにかく疲れたら眠り、起きたら書くという状況で 1月13日まで闘ったのです。基礎体力がなければとうにつぶれていたでしょう。若い漫画家・小説家などの皆さんの苦労を実感したものでした。

そして論文の出力の期限である1月14日に論文自体には、区切りを付け、厖大なデータを処理して印字しなければなりません。そこで私は、今回のトラブルが必ずしも不幸だったわけではないことに気が付きました。原稿用紙1000枚を越え、しかもDOSによる脚注処理プログラムを前提としていた私の出力計画は、仮に前のSwift (DX4-75, メモリ12M)だったならば、致命的とは言わないにしても、大幅な時間が必要で時間切れになっていたかも知れなかったのです。

修士論文のときにつかった文書処理プログラムをベースに作成した「英米法文献脚注処理プログラム」はDOSを前提にしたもので、処理速度はさておきメモリの制限に大変敏感です。これを全部で14ある文書パーツに適用して、脚注を生成させました。この処理は、予定どおり進みました。そして英米法独特の脚注をそなえた LaTeXの原稿をTeXで処理しました。この作業も前のマシンで問題なく処理できたでしょう。また、場合によっては、 理科系科目の懇意にして頂いている先生 にお願いして、ワークステーションで処理することも考えていました。できあがったDOCTOR.DVIの大きさは1.4Mbyteになりました。

ところが、これを出力に使うつもりで許可を得ていたプリンタで出力する場合、DVIをPS (ポストスクリプト)に変換しなければなりませんでした。私の知る範囲で日本語を通すDVI2PSを備えているワークステーションがなかったので、私は自分のマシンのポストスクリプト・プリンタドライバ経由で、EPSファイルを作成するつもりでした。ところがこの作業に TP535 Pentium 133をもってしても1時間かかったのです!!

出力予定のプリンタを使わせて頂くようお願いしていた時間は、刻々と少しずつ超過して行きます。私はあせりました。そして、もし前のマシンでこのDVIから PSへの変換作業を行っていたら、もしかするとメモリ回りや CPU回りの影響、あるいは残り30Mを切っていたHDD容量の影響で、処理できなかったのではないか、と思いました。この間際の段階でそうした処理能力の問題で論文が提出できないというのは、なんとも悲劇です。

そしてあせりといらだちの1時間後、PSファイルは生成されました。その大きさは11Mbyteを越えていました。バカですね(笑)。さすがに印字は、高速PSプリンタだったので程なく終了しました。そして、10ポづめA4用紙に234枚というバカ長大論文はこの世に現れました。これを3部にコピーするという大作業が続いたのですが、これは、まあ余録みたいなものでしょう。

そして、いまでは

ほんとの達人から見れば、私は不必要で無駄な努力を続けていたように見えるものと思います。「ここをこうすれば、すぐに XX できたのに」というような意見や感想をもたれたでしょう。しかし、万事時間が押しているという極限状態の中、わたしなりにもうろうとした脳味噌の中で必死にアドレナリンを分泌しながら、頑張った「戦記」なのです。

大学院生は「気楽な稼業」ではありません。とくに最近のコンピュータ化された執筆環境においては、自分と闘う一方で、資料と闘い、コンピュータのトラブルと闘わなければならないのです。お年のいった方の中には、「だから紙と鉛筆で執筆してりゃあいいんだ(笑)」と思われる方もいらっしゃるかとおもいます。それも一面の真理です。しかし、そうであれば、社会的背景と法の歴史を「草木一本残さずに記述する」という(無茶な)野望をもって進められた私の論文は、私には着手することもできなかったと思います。

機械の助けを借りて、人間は月にでも行きましたが、機械を使うこと自体もまた、大いなる冒険と闘いでしょう。この辺のことを「えらいひと」にはご理解いだだき、文科系の大学院生や学者が本や文具だけでなく、コンピュータにもしかるべき投資を必要としていることを認識して頂きたいものです。

そして最後に。私が不眠不休の2日間をすごしている間、能力的にはそうでなかったとしても、私は「ハッカー」になっていました。そして、それに続く、あらゆるものをなげうった論文の執筆においても、わたしは「ハッカー精神」を体現して努力しました。いつの日か、コンピュータだけでなく、法律にも精通して、「ロー・ハッカー (Law Hacker)」と呼ばれるような人間になりたいと思っています。

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