電気館奇譚

* 電気館奇譚 *

白田 秀彰

----------- * -----------

「おじいちゃん、おじいちゃん、このご本をよんでぇ。」

小春日和の縁側に腰掛けて盆栽を眺めていると、孫の徹が厚いボール紙でできた数ページの絵本をもって走り寄ってくる。すでに大学を退職して自由な私には、孫の相手がよい仕事だ。10月の空は抜けるように青く、盆栽棚にならんだ菊の作り物が暖かな黄色い光を撒き散らしているようだ。この静かな午後、孫に二匹のネズミの物語を読んで聞かせるうちに、なんとも落ち着いた充実感が沸いてくる。

「...というわけで、ぐりとぐらはたまごの殻を車にしましたとさ。おしまい。」

「お義父さん、わたしお買い物に行ってきますから、お留守番よろしくお願いしますね。」

と嫁が勝手の方から声を上げた。

「はいよ、行ってらっしゃい。」

息子は銀行に勤め収入も良く、嫁はちょっと愚痴っぽいが気立ては良い。妻がまだ生きていれば、こうした幸せを共に味わえただろうに、と思うと、ふと涙腺が緩む。

「おじいちゃん、鼻水でてるよぉ。さむいの?」

「ああ、ごめんな。歳をとると鼻水が出やすくなるんだよ。」

「へんなのぉ。」

私はちゃんちゃんこのポケットから鼻紙を出すと大きく鼻をかんだ。ふと、気がつくと玄関の方で誰かが呼ばわっている。

「ちょっとまっててな。」

と孫に言い残すと玄関に向かった。羊毛の靴下の底から廊下の冷たさが伝わってくる。ちょっと滑ってヒヤッとした。あんまり廊下を磨きすぎるのも良くないなといつも思う。

引き戸を開けると待っていたのは運送屋だった。

「中嶋さんですよね。哲郎さんはこちらにいらっしゃいますか?」

「私が哲郎ですけど。」

「ああ、それならお届け物です。ちょっと大きいですから、運び込みましょうか?」

「一体なんですかな?誰からです?」

「さあ、「電気部品」と送り状には書いてあります。送り主は「吉川シヅエ」さんです。」

「ううむ、電気部品、吉川シヅエねぇ。まあ、では庭をまわって離れに運んでください。」

「わかりました。」

感じの良い若者はてきぱきとした感じで車に戻り、他二、三人の若者達が「そぉーれ」と掛け声をかけて何やら荷物を降ろしている風だ。私は転ばないように下駄を履くと冷たい玄関から外へ出て運送屋を庭に導こうとした。石のたたきで下駄がカラコロと奇麗に響く。

「庭はこちらから...。」

と、案内しようとして私は目を疑った。その荷物は板で梱包されたちょっとしたコンテナだったのだ。一体こんな大きな荷物は何なのだろう。孫が庭の木戸を開けて玄関にまわってきた。

「おじいちゃん。この大きな荷物はなんなのぉ?」

「おじいちゃんにもわからないよ。」

てきぱきした運送屋の若者達は、大きなコンテナを私の書斎である離れの入り口脇に置くと、てきぱきと帰っていった。天文学で飯をくってきた私は退職後も趣味として天文をやるので、私の離れには望遠鏡や資料がたくさんある。それが、いつも嫁の小言の種になっている。そんなところにまたこんな大荷物が届いてしまったので、私は途方に暮れながら佇んだ。孫は大喜びでコンテナの周りではしゃいでいる。10月の空はどこまでも高く、庭のコスモスが風に揺れている。

嫁が買い物から帰ってくると勝手口から早くもコンテナを見つけて、私に「これは何?お義父さん。」と問いただした。私にも心当たりがないというと、嫁は息子の大工道具箱から釘抜きを取り出すと、勇ましくコンテナの蓋をあけにかかった。戦後女性は強くなったというが、まさに女傑の風がある。くわばら、くわばら。

バリバリと板のきしむ音がして蓋が開いた。フラックスの匂いが漂ってきた。

「おじいちゃん! なんですか、このガラクタは! 」

「ええ?」

私も箱の中を覗き込んだ。箱の中は今ではトランジスタに取って代わられた真空管や幾種類もの用途不明の測定機器らしいものが詰まっていた。それらは埃にまみれて薄黒い感じだ。その上に真新しい分厚い封筒がひとつ置かれていた。封筒は純白でガラクタの上に舞い下りた鶴のように見えた。

差出人は「吉川シヅエ」となっており宛名は私だった。

嫁が促すのでその封筒を開けると、それは、あの電気館の主、吉川君の細君からの手紙だったのだ。

手紙には概略次のようなことが書かれていた。

今年の8月に吉川君は大往生をとげたらしい。なにぶん夏のこともあり、本人の遺言で葬儀はごく簡単にすませてしまった。で、吉川君は、彼が亡くなる直前までつかっていた実験機器等を私に贈るように遺言してあったという。そこでいよいよ彼の部屋を片づけた後、それらの機器をこちらへ送ったらしいのだ。吉川君の住所は京都になっていた。戦後復員のときに京都で世話になったが、その時いらい彼は住居を変えていなかったのか。

それにしても、よくこちらの住所が分かったものだ。大学の同窓名簿でも使ったのだろうか。

ふと大学での青春時代、そして軍に動員されて散り散りになった日々、そしてかろうじて生き残って神戸に復員してきたとき、埠頭で待っていてくれた吉川くんの人懐っこい笑顔がよみがえる。同時に、下宿の部屋で外国煙草をふかしていた田中君の姿がよみがえってくる。私は懐かしさに涙がでてきて、目の前の手紙がぼやけてしまった。

「おじいちゃん。鼻水でてるよぉ。」

孫が下の方から呼びかけてきた。私はちゃんちゃんこから鼻紙を取り出すと鼻を大きくかんだ。

「おじいちゃんのお友達が、仏様のところにいってしまったんだ。そしてこれは、お友達からおじいちゃんへの贈り物なんだよ。」

「ふうーん。じゃあ、おばあちゃんと同じで仏壇に入ったんだね。」

「そうだよ、そうだよ。」

私はちゃんちゃんこの袖で目を押さえながら鳴咽した。嫁はそのまま無言で勝手から台所へあがった。しばらくするとトントンと包丁の鳴る音が聞こえてきた。私はコンテナの縁に寄りかかるとフラックスの匂いを嗅ぎながら吉川君のことを思い出し、また涙するのだった。

茜色の夕暮れが硝子窓を染め、離れのとなりの台所から夕食の匂いがしてきた頃、私は同封されていた吉川君本人からの私への手紙を読み始めた。それは長い長い物語だった。それぞれ大学院へ進学した私たちではあったが、満州事変が始まると私たちの進路は、時代の波に飲まれていった。

真っ先に影響を受けたのは英文学をやっていた田中君だ。吉川君の手紙によれば、彼は満州に教師として赴任していったまま、消息がしれないという。

そういえば、田中君の行方については、私も友人から聞いたことがあることを思い出した。最後に上海にいたということだったような気がする。でも、それはまだ戦争の始め頃の話だったような気もする。彼が書いた「オスカア・ワイルド」に関する大論文は、戦雲急を告げる時勢には相手にされなかった、と田中君が愚痴っていたのも思い出した。彼は、研究を断念して満州の高等学校の教師として大陸に渡ったのだった。

理科系の私と吉川君は、それでも研究を続けることができた。しかし、戦局が悪くなってくると、兵役を免除されていた理科系学生にも次第に徴兵が来るようになった。天文などという戦争に役に立たない学問をしていた私は、測量兵としてフィリピンへ出征した。幸い後方での任務だったので生き残って帰ってくることができた。

驚いたのは吉川君のその後だ。彼は高度な電気技術を買われて、軍工廠で電波探知機すなわちレーダーの開発を担当していたというのだ。あの戦艦長門に搭載されていた「い号電探」は彼の開発によるものらしい。彼は技官だったので結局京都の研究機関から出ることなく戦争は終わった。道理で私がフィリピンから復員してくるとき、彼が神戸で待っていてくれたはずだ。その後、大手電器メーカーで研究員を勤めて、私より少し前に退職したことになっている。

私は老眼鏡を外して疲れた目をしばしばと瞬きさせ、眉間を指でもんだ。まだ手紙は半分しか読みすすめていないが、もう疲れてしまった。なにもかも懐かしい。同期の友人達や戦友達の姿が浮かんでくる。

「お義父さん。ご飯をすませてくださいな。」

嫁が台所から呼ばわった。「どっこいせ」と掛け声をかけて私は文机から立ち上がった。振り向けば部屋はすっかり薄暗くなっていた。私は灯かりをつけて、母屋の食堂に向かった。離れと母屋の間のたたきには、吉川君の奇妙な遺品たちが静かに息をひそめている。

暖かい母屋では、孫たちが既に食事を済ませて居間でテレビを見ている。いつも息子は帰りが遅いので、私は嫁と向かい合わせで食事を取る。入れ歯をしていると、何を食べても味わいがない。嫁は気をつかって柔らかい煮魚などを出してくれるが、本当は嫁が食べている漬物をおもいきりパリパリと食べたいものだ、といつも思う。

「お義父さん、あの荷物はどうなさるつもり?」

と嫁が食事をしながら尋ねてきた。

「さあ、どうしたものか。まあ、すぐに片づけるよ。亡くなった友達がわざわざ送ってきたものだ。とりあえず見てみないうちに捨てる訳にはいかないよ。」

「できるだけ早くしてくださいね。もうガラクタはごめんですよ。学者という仕事はどうしてこうも荷物がおおいんでしょうねぇ。」

食事のあと、嫁は台所に片づけに戻り、私は茶をもって居間の孫達の後ろに座った。テレビでは若者向けの歌謡番組をやっている。まだ小さい徹が、三人組の女性歌手の歌にあわせて歌っている。

「あいつは、あいつは、かわいぃ、とししぃーたのおとこのこぉ。」

徹の歌は調子が外れているがなんとも可愛らしい。小学3年生の年長の孫の武がチャンネルを回した。

「おにいちゃん。なにすんの。」

「あれが始まるんだよ。あれ。」

「ああ、あれね。」

孫達のお気に入りの番組らしく、チャンネル争いにはならなかったようだ。私は茶を啜りながら、そんな孫達を後ろから眺めつつ、テレビを眺めていた。ああ、吉川君がラヂオをいじっていた頃からすれば、長足の進歩だなあ。となにやら感慨にふけってしまう。

テレビは漫画に変わった。勇ましい軍歌風の音楽とともにテレビ画面いっぱいに「ヤマト」という白い文字が現れた。旧海軍の戦艦大和が宇宙を飛ぶというなんとも不思議な漫画だ。

「おじいちゃんはヤマトに乗ってたの?」孫の武が尋ねてきた。

「おじいちゃんは南の島に行ってたから、大和には乗らなかったよ。」

「つまんないの。じゃ、みたことある?」

「おじいちゃんは、写真でしか見たことなかったねぇ。大事な船だったから広島の軍港に泊まっていることが多かったみたいだね。」

「ふぅーん。」

そのとき、始まりの歌が終わって画面にまつげの長い不思議な女の人の顔が大写しになった。そのとき流れてきた女声のヴォカリーズに私は聞き覚えがあることに気がついた。私は、ずれた老眼鏡を挙げてテレビに見入った。

「私はスターシャ、マゼラン星雲の惑星、イスカンダルの女王...。」

スターシャ! イスカンダル! 私は自分の耳を疑った。そして脳髄に血液が集まってくるのを感じた。そんな、そんな馬鹿な。そうだ、確か私がまだ大学3年だった頃、そう、あれは昭和の初めだ。緑風荘に下宿していた頃、確かに田中君と吉川君と電気館で聞いた、あの謎のラヂオドラマそのままだ! なぜだ、なぜだ? 私の記憶違いか?いや、そんなはずはない。そうだ、あのとき、吉川君は八木アンテナの原形を発明し、私は今、パラボラアンテナと呼ばれているものを着想していたのだ。そう、あのとき私は中華鍋で実験したパラボラアンテナのスケッチを残していたはず。ボケたわけじゃない。

私は離れにある文書を確認するために立ち上がろうとして、茶碗を蹴飛ばし、お茶をこぼしてしまった。

「ああ、おじいちゃん、お茶こぼした。」

「おやおや、大変だ。律子さーん、申し訳ないけど、なんか拭くものもってきて。」

私は嫁を呼ぶと、その場をそのままに、そそくさと廊下に出て離れに戻った。電気を付けたままの離れは、すこし薄ら寒い。母屋では嫁が

「もう、おじいちゃん、だめよぉ。」

と大声で愚痴っているのが聞こえる。

私はそんなことはお構いなく、古い雑記帳の束を下の方から探し出した。空襲にも焼けずに残った大学時代のノートだ。残念ながら一番旧いもので大学院の1年次のもので、学部の頃のものは既になかった。

私は日記が入っているはずのダンボールを探して押し入れに潜った。在職中に買い溜めた英語とロシア語の学術雑誌が山とまとめられている。そしてようやく一番奥の方で目指す箱を見つけた。腰が痛むのもお構いなしにそれを引きずり出し、荒い息をつきながら、かび臭い箱を開けた。老眼鏡を掛け直して、電灯の真下に引っ張ってきて背表紙を指で追う。残念だ。日記も復員してきて以降のものしかない。最初の年は昭和23年だった。私はあれが、私の勘違いだったような気がしてきた。

「そうさ、そんな昔のことだから、勘違いしただけさ。」

私は自分の慌て具合に苦笑して、座布団を枕に仰向けに寝転がった。蛍光燈のかさが少しゆらゆらと揺れて、天井の影がふらふらと揺れている。

「俺ももう歳を取った。記憶が曖昧になってきたらしい。」

しばらく寝転がったまま天井を見上げていたが、冷えてきたので電気ストーブを付けた。じんわりと赤熱するヒーターの灯かりがなにか懐かしく感じられる。そうだ、手紙の続きを読まなくては。私は起き上がって文机のスタンドを付けて、老眼鏡を掛け直した。

手紙の続きは、彼が電器メーカーで開発を続ける一方、真空管回路にこだわりつづけた様子が彼らしい几帳面な文体でつづられていた。大体、手紙をこのように編年体で書くなんて、彼らしい几帳面さだと思った。普通、用件から書くだろうに。

一体どういうわけで、こんな手紙を書いたのだろう。手紙には次第に複雑な数式と回路図が混じるようになってきた。幸い、電波天文学を大学で講義してきた私にはいずれも理解することができる。どうやら複雑な形態のハニカム・コイルの作成法と、その電磁気的特性に関する記述らしい。詳細な特性図は別のノートにまとめてあると書いてある。私は一連の技術解説部分を飛ばし読みしながら読み進んだ。すると、「時間相と同調について」という部分が目に飛び込んできた。どうやら、彼の最後の研究は一種の時間を超えた通信に関するものだったらしい。彼も最後には衰えていたのだな、と私は寂しく思った。私も科学者の端くれ、そういうことが理論上不可能なことは知っている。

いや、知っている? あの日、電気館で聞いたラヂオドラマが私の記憶違いでなければ、あれは時間を超えて聞こえた未来の放送だったのでは?私はまた脳髄に血液が集まってくるのを感じた。身震いを感じた。私は卓上の電気スタンドを持つと離れの扉を開けて、吉川君の実験機器の入ったコンテナを照らしてノートを探した。コンテナには薄汚れたノートが4冊入っていた。私は、部屋に戻るのも忘れてコンテナの脇で一心にノートを捲った。冷たい10月の夜風が肌を切ったが、私はそんなことにさえ気がつかなかった。冬の初めの夜空には冴え冴えとした月がかかっていた。

--------------------- *** ----------------------

「あなた、最近、お義父さんの様子がおかしいの。自分の書斎にこもったきり、徹の相手もしてくれなくなったのよ。それも、これも吉川さんという方からガラクタが届いて以来なの。」

背広をハンガーに掛けながら律子が愚痴をこぼした。僕はネクタイを解きながら

「いいじゃないか、父さんはもともと学者なんだから、なにか興味のある研究テーマが見つかったんだよ。ボケの防止にもやくだつよ。それに最近寒いから外に出ないだけなんじゃないのか?」

と受け流した。早く風呂に入って暖まりたいものだ。

「それならいいんだけど、私がこの間 離れにお茶を持っていったとき、お義父さんたら、へんてこな機械に向かって何かボソボソ喋っているのよ。気味が悪いわ。」

律子は不機嫌そうに僕の手を引っ張った。

「じゃ、ちょっと様子を見てくるよ。」

僕は寝間着の上に綿入れ半天を羽織ると、勝手口から出て離れの戸を叩いた。遠くの家で犬が遠吠えするのが聞こえた。静かな冷たい夜だ。しばらくしても返事がない。

「父さん、父さん、入るよ。」

僕が生暖かい父の書斎に入ると、部屋は電気ストーブの赤い光に照らされていた。かつて望遠鏡と書類が整然と整理されていた部屋は、乱雑な電気機械で足の踏み場もなく、外箱を外したテレビのような機械が文机の上に乗っている。父はその前で眠り込んでいるようにみえた。テレビには電気が入っていて、丸めがねを掛けた老人が盛んに何か語りかけている。ただ、音声が入っていないためか何を言っているのかわからない。私は電源スイッチを探して、テレビの電源を切った。バチンと金属のバネの音がして、ゆっくり回転していた二つの円筒形の部品が停止した。

「父さん、こんなところで寝てると風邪ひくよ。」

僕は父を揺り起こそうとした。様子がおかしい。父は呼吸していなかった。

--------------------- *** ----------------------

父が亡くなって離れの書斎を片づけることになった。天文学の教授をしていた父の遺品は膨大だった上に、亡くなる少し前に届いた父の友人の形見の機械類もあったので片づけは大変だった。望遠鏡も学術書も機械類も銀行勤めの僕には宝の持ち腐れだ。それぞれ業者に売ったり、寄贈したり、捨てたりして最後に古ぼけた例の真空管式のテレビや測定機器が残った。それらは息子の武と徹がいろいろといじっておもちゃにした後、金属類は屑屋に引き取られた。真空管は武が割って遊んでいたが、律子が「危ない」といって捨ててしまった。そして父の書斎は空っぽになったのだ。

(完)

----------- * -----------

to Appendix

白田 秀彰 (Shirata Hideaki)
法政大学 社会学部 助教授
(Assistant Professor of Hosei Univ. Faculty of Social Sciences)
法政大学 多摩キャンパス 社会学部棟 917号室 (内線 2450)
e-mail: shirata1992@mercury.ne.jp