前回、「意思主義」という法の大前提について、その有効性が揺らいでいる(んじゃないか)と指摘した。今回は、刑事分野における大前提である「罪刑法定主義」と、これに関係して国際刑事手続なんかについて考えてみようと思ってる。とはいえ、正直申し上げて、このあたりは私の専門分野からは遠い領域。ついにネタ切れがここまで来たか、という感じ。かなりの確率でウソを書く可能性があるので、法学部の学生さん、とくに刑法専攻、国際刑事法専攻の方からの遠慮会釈ない批判をまってま〜す。 さて、読者の皆さんは刑法ってどんな物だと思ってる? 「国家」とか「公安」とか「捜査機関」とか、そういうマッチョ制服系のコワモテのオジサンたちが
「ウィリィィィィィ!! 俺達に刃向かう奴等はみんな監獄に叩き込むぞォォッ!」 と、飢えた狼のようにゼイゼイ荒い息を吐きながら目を血走らせている様子が浮かばない? 私は、子供の頃そういうイメージをもってた。このイメージは完全に誤ってるわけだが、基本的にこういうイメージを国民が持ってた方が、犯罪抑止の観点からはよいのかも知れないね。 では、とりあえず刑法の「罪」について定めた部分の最初の条文を見てみよう。
第77条 いきなり「内乱罪」です (苦笑)。なんで内乱罪からスタートなのか、ということにもちゃんと理由があるんだけど、それは後述。で、この第77条以降ずーっと罪に関する規定がずらーっと並んでいるわけですが、「総則」と呼ばれる一般的な事項について定めた第1条から第76条までの部分をみても、どこにも「罪を犯してはいけません」とは書いてない。ただ淡々と、「...をした者は、....に処する」と書いてあるばかり。こうした書き方は、国家から個人に対する命令を定めた一般的な法律に付随する罰則、すなわち行政罰とは書き方が違う。たとえば、個人情報保護法をみてみると次のように書いてある。
第15条 個人情報取扱事業者は、個人情報を取り扱うに当たっては、その利用の目的(以下「利用目的」という。)をできる限り特定しなければならない。 第56条、第57条の中身が第15条を指していないので、例としてはよくないかもしれないけど、雰囲気は分かってもらえるだろう。一般的な法律では、「...(主体)...は、...してはならない / ...しなければならない」としたうえで、「...条の規定に違反した者は、...に処する」という感じで定められている。法を定めた主体である国家から、名宛人に対する命令が書いてあり、それらの命令への違反に対する罰が規定されているわけだ。ところが、刑法については、誰から誰への命令なのかが明確ではない。まあ、普通はやっぱり国家から国民への命令だと考えられているわけだけど。 ある学生さんから、
「刑法で禁じられているのは自然犯だから、「...してはならない」と書いてないんじゃないですか? 一方、行政罰の場合は、本来 私たちの自由の領域に含まれている行為を政策上の必要から禁じるので、わざわざ「....してはならない」と書いてあるんじゃないですか?」 と指摘された。自然犯というのは、「反社会性、実質的不法性が社会規範からみて自明とされるもの」とされている。簡単に言えば、「説明不要なくらい当然に犯罪でしょ」というもの。なるほど、その指摘は確かに説得的。でも、刑法に定めてある犯罪のすべてが自然犯に分類されるわけではない。 また別の元学生さんは、
刑法と行政法の違いは、「行為」をどれだけ重視しているか、という点にあるのではないかと考えます。 という とてもシャープな指摘をくれた。確かにそのとおり。読者の皆さんは、「刑法は私たちの「行為」を制御しようとしているのだ」というところを よくよく心に留めておいていただきたい。 さて、このあたりで、この連載の流儀に従って、そもそも刑法がどんな理由でこの世に現れたのかを確認してみることにする。 刑法の目的を簡単に言えば「正義の実現」ということになる。人間はある種の行為を不正であると考えるようで、そうした行為に対して報復し、権利と秩序を回復することが必要だという認識は古くからあった。ただし、秩序維持について責任をもつ主体が存在しない段階においては、正義の実現が各人の努力に任されていた。その意味では、すべての紛争が、私人対私人の関係において侵害された権利を回復するためのルールである「不法行為法」と同一の考え方で処理されていたといえる。さらに、自らの正義 すなわち生命、身体、財産、自由および名誉といった権利 (right) を侵された者は、自らの力でそれを回復しなければならなかった。すなわち自力救済だ。仮に本人の身体が著しく破壊されたり、生命が奪われた場合は、その親族・遺族が正義の回復にあたった。すなわち報復 (血讐 feud)だ。 こうした段階において、正義を実現するものは「力」であり、力無き者には正義を実現する能力がなかった。そこで、力のある者が力の無い者に代わって、正義=権利を保護するという仕組みができる。その保護の代価として力の無い者から力のある者への物や労働力の献納が行われる。こうして封建的な保護と献納の関係が成立することになる。 さて、こうした自らあるいは保護者による自力救済や報復によって 権利を回復したとしても、それで当事者同士が納得するかというとそんなことはなかった。正義の基準が立たない世界においては、常に相手からの攻撃は「不正」なものであり、自らが行う報復は「正義」となる。当然予想される結果としては、果てしない攻撃と報復の連鎖が続くことになる。これでは、人間社会を維持することは困難だ。とはいえ、「目には目を」という格言で示されるような 不毛な同害報復は、実際にはそれほど一般的でなく、欧州においては、たとえ殺人の代償としてであっても、加害者側の財産を被害者側が「贖罪金(賠償金)」として獲得することで満足していたようだ。そういう意味でも、刑事法は、金銭賠償を基本とする不法行為法と、同じ位置付けにあったことがうかがわれる。 ここにおいて、正義を実現するために、二つの要素が必要になる。一つの正義の基準。もう一つは、自力救済・報復が過剰になり、さらなる紛争を引き起こさないための歯止めだ。 正義の基準は、慣習や宗教的価値観が基礎となり、さらに共同体内部での協約(取り決め=掟)がこれを補った。ここで重要なことは、加害者、被害者の双方が同じ慣習や宗教的価値観の下になければ、正義の基準が立たないということだ。絶対的な権力が存在しない世界では、加害者、被害者双方が、提示された正義の状態に納得して、はじめて攻撃・報復の連鎖が停止する。だから、紛争当事者が同じ文化圏にあることは、正義の実現の基礎的条件であるわけだ。逆にいえば、文化を異にする異教徒・異民族との紛争は、怖かったと思う。どこまでヤレばケンカが終わるかが決まってないわけだから。 さらなる紛争の歯止めというのは難しい。ある不正行為や攻撃がどの程度の悪であるのかを客観的に決定することはできない。人間は、頭にキてるときには見境がなくなり、かつ自分の受けた被害を、自分の与える攻撃よりも過大に評価する傾向がある。というわけで、常に報復は過剰になりがちな傾向にある。とはいえ、加害者の悪を十分に糺さなければ、悪をのさばらせてしまうことになる。そこでやむを得ず提示されたのが同害報復というわかりやすい基準だったのだろうと思う。このように、不正行為や攻撃の程度を客観的に量ることは困難だ。そうであれば、紛争をどこかの段階で解決するためには、何らかの権威が、ある攻撃とその報復について「均衡しているもの」と決めてしまうほかない。 こうした必要から王が登場する。最大の武力の保持者、または最高の権威の保持者として、加害者と被害者の間の直接的な武力の行使を停止させることが最初の仕事。ついで、慣習や宗教的価値観について知るものに諮問したり、当事者と同じ共同体に属し同じ文化を共有している同輩 (peer) 達の討議と意見を仰ぐという、現在でいう裁判を主宰するのが二番目の仕事。そして、そこで提示された解決策を両者に提案し、その解決策が履行されることを促すのが三番目の仕事。かなりメンドウな仕事であることが推測できる。王様は、一番力の強い者が暴力で周りを押さえつけて成立したのではなく、暴力の並び立つ世界において、暴力が均衡するための「支点」として生み出されたのだ、と考える方が妥当なのかもしれない。 さて、三番目の仕事として、「解決策を両者に提案する」と書いたのは、絶対的な王権が確立していない世界においては、紛争当事者が王に対抗しうるほど強力な場合、裁判によって提示された解決策を強制できなかったからだ。あくまでも当事者が自発的に提案を受け入れなければ、再び暴力的応酬が再開することになる。そこで重要になってくるのが、具体的な解決策の提案が、王様ではなくて同輩達からなされること。同輩達が示した提案を拒絶すること、あるいはそれを履行しないことは共同体への侮辱・攻撃とみなされうる。だから、解決策の提案を受け入れないことには、かなりの覚悟が必要だったわけだ。たとえば、貴族であれば、周りの貴族ほとんどすべてを敵にまわして戦闘を開始する覚悟が必要なわけだから。英米法の特徴となる陪審制は、こうした事情から始まったものなわけ。 とくにイギリスの場合、もともと北欧系の人々が住んでいたイングランドを、フランス系の貴族であるウィリアム1世が征服したことから、現在に続く政治と法の歴史が開始されたこともあり、陪審裁判は人民の権利として制度的に重要になった。中世という時代は、共同体の閉鎖性が高く、かつ身分制が堅固な社会であった。それに加えて支配者と被支配者が異なる民族の場合を想像してもらいたい。自分が行った行為の理非正邪の判断を、自分と異なる文化に属する他の身分の人々や、まして言語すら異なっている (実際、イギリス王室では、かなり長い間「ロー・フレンチ」と呼ばれるフランス語の古方言が公式言語であった) 異民族の支配者に委ねたいと考えるだろうか。否。だから、自らの重要な権利に関係する裁判においては、その判断を自分と同じ文化圏に属する同身分の人物に行ってもらいたいはず。これが陪審裁判が「権利」である理由だ。 話がズレた。もとの筋に戻る。上記のように正義の実現や秩序回復が、あくまでも加害者と被害者の間の交渉によって維持されているような状態では、正義の実現は、とても困難であることがわかるだろう。力と力の均衡によって秩序が維持されているような状態だ。こうしたとき、王権、領主権、教会権、都市権、職能権などのさまざまな権力が複雑な網の目を形成していることは、権力の相互牽制状態を作り出し、結果的に人々の基本権をかろうじて保障する機能を果たしていたのかもしれない。 こうした状態において、王権が比較的に強力である場合には、王は明示的あるいは黙示的に「平和令」と呼ばれる命令を発した。王は王権を確保すると、国内に対して無許可の武力行使を禁止し、自力救済を制限し、報復を禁じた。その代わり、王は国内の治安と秩序維持に対して責任をもち、これを破るものに対して被害者に代わって罰を与えるものとした。で、ようやく話が、「刑法ってなんなのか」という問いの答えにつながってくる。刑法の書き方というのは、その前提として「平和令」があって初めてスジが通るわけ。
そもそも人が自然の権利として保有していた、自力救済、報復、武装、戦闘の自由を制限する。これによって国内における武力行使を制限し、国内に平和をもたらす。国内における秩序維持の義務は国王が負う。そのために国王は、必要な権能および実力を法に従って行使する。 という「王の平和」の具体的内容として、もともと刑法の規定は作られた。だから、刑法は、王から臣民への命令である一方で、秩序維持の責任をもつ国王にとっては義務であったわけだ。この中世的刑事裁判の仕組みを残している英米法の世界では、刑事裁判と民事裁判の区別がなかった。刑事裁判の場合は、イギリスでは国王/女王= R. (Rex / Regina) あるいは王冠= Crown が原告になることが 民事裁判との違いだった。こうした歴史的背景をみれば、何よりもまず禁止すべき犯罪が内乱であることは、ごく当然のことになる。さらにいえば、刑法規定に違反することは、多かれ少なかれ王の平和への違反となるわけだから、すべて「反逆」の一種ということになる。というわけで、この中世的刑事裁判においては、犯罪の容疑者を逮捕して審理することは、バシバシやるべきであり、これを怠ることは王の義務違反ということになる。 ついでに言えば、国王に対する直接的な犯罪である大逆罪に該当する重罪については、犯人は死刑に処せられ、その財産は国王によって没収された。この財産没収は、中世的な発想からすれば、被害者である王に対する贖罪金という位置付けになるわけだ。 こうした刑事裁判の考え方を糺問主義という。古くからの民事的な紛争解決の知識を蓄えてきた普通法(≒コモン・ロー)裁判所とは異なり、国王大権を背景に国王の官吏として刑事事件を扱ってきた国王大権裁判所においては、裁判官自らが王の代理人として、刑事裁判を開始し、審理し、判決した。現在の検察の機能と裁判官の機能が一つになっていたわけ。こうした糺問主義での刑事裁判においては、犯罪をバシバシ取り締まらなければならないわけだし、疑わしいヤツはバンバン監獄に放り込んだ方が、良民の安全のためにはよろしい。というような理由から、えてして過剰に過酷な裁判になりがちな傾向があった。さらに、王様や裁判官たちが公明正大であればいいんだけど、実際には王様や裁判官の都合で判断が下されることもあったわけで、裁判における政治的中立性など無いに等しかった。 さて、こうした「王の平和」を基礎とする刑事裁判の仕組みは、中世期を通じて成長し、絶対王政の頃には、それこそ絶対的な効力を持つようになった。というのは、それまで王権の暴走を抑止しえた大貴族やら宗教的権威やら都市やらが、みんな王権に服属する状態に至っていたわけだから。 ここで市民革命。王様はいなくなり、市民が社会の中心となった。 革命の主導勢力であった市民層は、王様からいろいろと邪魔をされてきたので、もう政府から干渉されるのはコリゴリだと思っていた。そこで、可能な限り政府が市民の活動に対して干渉しないように制度が設計された。この「可能な限り政府が市民の活動に対して干渉しない」という原則を徹底するのなら、刑法を廃止して、すべて不法行為法で処理しても良かったはず。リバタリアン(自由至上主義者)と呼ばれる人たちの立場では、そういうことになるのではないかと考える。「誰かの行為を迷惑あるいは不法だと感じる人が、その人を訴追すればよいのであって、仮に反社会的行為であっても、それを訴追するほどの害悪だと感じる人がいなければ放っておけ」と言うことになるはず。 ところが実際には、市民革命期の後にも、それ以前の刑法典は、ほとんどそのまま存続することになった。市民層の目から見て、その存在自体が反社会的であり、かつ社会の不穏要素であるところの貧乏人は山ほどウロウロしていたし、国家の仕事が、生命・自由・財産を保障するところにあるならば、国家の刑事的能力は依然として必要であることは間違いない。するとかつて「王の平和」を基礎として成立していた刑法典は、抽象的な「国家」から国民に対する命令へと性質が変化する。自分達から自分達への命令というなんだかスッキリしない状況になるわけだ。しかも、「王の平和」の時代には、疑わしいヤツをバシバシ訴追してバンバン監獄送りが「おお、仕事してるよな」という評価につながったわけだが、これからは、そういうことをすると「国家による国民の基本的権利の侵害」ということになる。 さらに市民革命期以降は、立法、司法、行政の三権が分立することになった。すると、治安維持に対して責任をもつ主体は行政ということになる。一方、市民革命期の憲法は、国家による国民の基本権侵害を厳しく禁じていた。ということは、国家から国民への生命・自由・財産の侵害を手段として成立している刑事裁判は、厳格なチェックのもとに運用されるべきことになる。こうして刑法の運用については、罪刑法定主義が、刑事裁判の原則としては、弾劾主義が導き出されることになる。 罪刑法定主義というのは、行為の時に、その行為を犯罪とし、刑罰を科することを定めた成文の法律がなければ、その行為を処罰することはできないという原則。行為したときには合法であった行為が後から違法とされ、それで処罰されることが可能だったりしたら、国家は特定の人を狙い打ちにして刑罰を科することすらできることになる。これでは、国家の生命・自由・財産への侵害の歯止めが無いことになる。そこで、予め「こういう行為をするとこういう罰を科すよ」と書いてなければ、行為がどんなに反社会的行為であっても、処罰しないということになったわけだ。一応、細かいことを言えば、私たち国民すべてが刑法典で禁止されている内容を知っているわけではない。自分が知らなかった違法について責任を問われるのは、スジが通らないことになるわけだが、「知らなかった」の一言でどんな犯罪でも責任を問わないというのでは、刑法の意味がなくなってしまうので、「法の不知はこれを恕せず (法を知らなかったという理由では許さないよ)」という古くからの法格言を以って、このあたりのフィクションについては目をつぶることになっている。 さて、罪刑法定主義の内容としては、次のようなものが挙げられる。(1) 成文法主義、すなわち慣習法を直接処罰の根拠としてはならない。(2) 刑罰不遡及、すなわち後から成立した法律で以前の行為を処罰してはならない。(3) 類推解釈の禁止、すなわち犯罪となる行為の要素の解釈について、被告人に不利となるような類推に基づく解釈をしてはならない。(4) 明確性の原則、すなわち処罰の対象となる行為は法文上明確でなければならない。(5) 絶対的不定期刑の禁止、すなわち自由を剥奪する禁錮・懲役の場合その刑期を定めない刑罰は禁止される。 弾劾主義というのは、先に説明した糺問主義とは対照的な刑事手続の考え方で、治安維持に責任をもち犯罪捜査を行う主体、また捜査によって集められた証拠をもとに被疑者を訴追する主体と、そうした犯罪捜査・訴追の過程全体が法に厳格に定められた方法を逸脱していないかをチェックする主体に分離するもの。要するに、行政権の刑事活動を司法権が抑制することで行政権の濫用が国民の基本権を侵害しないようにする仕組みだ。「弾劾」という言葉の意味が「罪状をしらべあばくこと。きびしく人を攻撃する (広辞苑)」ということからすれば、糺問主義の頃とたいして変わらないように思えるが、近代市民社会の原則からみれば、たとえ治安維持という目的とはいえ、国民の生命・自由・財産への攻撃という「犯罪的」行為をしようとする国家の行政権を、司法権が「本当にそうした攻撃が正当化されるのか」と厳しく問い質しているという構造だと理解する方が正しい。すなわち、刑事裁判において裁かれているのは、検察側なわけ。 このように考えることで、「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の大原則や、法に反して収集された証拠を裁判において用いないとする「違法収集証拠の排除原則」や、刑事裁判における「黙秘権の保障」が導かれることになる。これらは、いずれも刑事被告人は自らの潔白について立証するにあたって、何らの努力も必要としないことを保障している。通常の裁判の場合、被告人が何も主張しない場合は、原告の訴えを容認したものとみなされる (民事上の自白)。ところが刑事裁判の場合、被告人は何も主張しなくてもよい。ということは、裁判官によって主張が吟味されているのは、もっぱら検察官だということになる。 ...あ、もう字数が規定を超えてしまった。今回は、まったくインターネットとかサイバーとかそういうところとは関係しない話に終始してしまった。ごめんなさいね。とはいえ、こうした刑事法の基本的な考え方を説明しておかないと、今、私たちの身のまわりで生じつつある変化について理解してもらえない。 次回は、今回の原則的な話を受けて、インターネットにおける刑法の整備や、犯罪捜査手法の拡大、さらには国際的な犯罪への取り組みにおける、原則の変容というか逸脱というか、そういう「私たちの依拠してきた原則が変化しつつある」というような話をしたいと思う。うまくいくかな。頑張ります。
告知刑事分野は、あまり得意でないのでなるだけ後回しにしていたんだけど、サイバー犯罪条約批准に伴う国内法の改正やら、共謀罪の創設やら、さらには著作権侵害の厳罰化やらが組み合わさると、なんだかキナ臭い状況が生じそうな感じになってきた。それで、一応、穿った見方から「あぶないんじゃないの?」と指摘しておく必要があるなあ、と思って取り上げることにしました。 法学部を出て、社会学部の先生になったりすると、「とりあえず法律分野は全部できるよね、大丈夫だよね、博士号も持ってるんだし、普通できるよね」という圧力のもと、専門外のこともやることになってしまうわけだが、そのおかげで、付け焼刃かつ泥縄式ながら、広い分野について大まかに把握することになった。この点については、他学部にいてよかったなぁ、と思う。法学部にいたら、もっと専門的に頑張らないと、周りにそれぞれの専門の先生がいらっしゃるわけだから立場を失いかねないし、弁護士になってたら、依頼主のために全力を尽くすことを要求されるわけだから、「そもそも論」やら「原則論」なんてやってるヒマはなかっただろう。 せっかく与えられた、珍しい立場。大事にしながら皆様のお役に立てるよう努力していきたいと改めて思ったりしました。 あ、告知だ。ロージナ茶会がわりとピンチです。この連載で取り上げているような話の好きな、大学生および大学院生あたりの皆さんからの参加を待ってたりします。我こそはと思う人はぜひぜひ連絡ください。
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白田 秀彰 (Shirata Hideaki) 法政大学 社会学部 准教授 (Assistant Professor of Hosei Univ. Faculty of Social Sciences) 法政大学 多摩キャンパス 社会学部棟 917号室 (内線 2450) e-mail: shirata1992@mercury.ne.jp |