>> そうです。著作権法は、言論の自由を否定する法律です。 「私は、著作権法は言論の自由を否定する法律だと思います」ではなく、断定になっているので反論させて頂きます。 著作権法の仕組みと言論の自由は原理的には矛盾しません。まず、言論の自由が保証されるためには、十分な知識と情報が効率よく国民に伝達される必要があります。こうして初めて自由な言論の基礎条件が整えられるのです。 さて、著作権法の歴史を見ますと、イギリス、アメリカ、フランスにおいて 18 世紀初頭から末までの間に確立された近代著作権制度は、いずれも特定のギルドや特権集団に占有されていた出版という言論媒体をそうした独占から解放する目的で設定されました。すなわち、著作権法が存在しなければ非効率な独占集団に知識と情報の伝達が独占され、国民に安価に効率よく情報が伝達されなかったのです。19 世紀に所有権類似の理論構成を取るようになるフランスでさえ、革命当時には「著作者の権利」よりも公衆が自由に知識と情報をえることができるように配慮されていました。例えば 1791 年、1793 年のデクレがそうです。 また、著作権制度が整備されて初めてジャーナリストや著作者たちはパトロンや国家の機関からの資金援助を離れて自由に議論する事ができるようになったのです。現代でもジャーナリズムはなかなか広告主を批判しにくいものですが、それでも特定の貴族だとか国家からの紐つきよりは随分ましだといえるでしょう。 さて、現代においても、著作権法が存在しなければ、知識と情報の生産と伝達を生業としている産業は、内容 (contents) を作成する費用を市場から回収する事ができなくなるので、いずれも壊滅します。そうした市場においては既存の内容を再版することについては効率的になり得るかもしれませんが、パトロン制度や政府による補助金制度が存在しなければ新規の作品は生産されえません。このことは、初等経済学の知識があれば容易に理解して頂けるものとおもいます。パトロン制度や政府による補助金制度なしに新しい言論が生み出されないところに言論の自由が存在しない事は論を待たないでしょう。このことから、著作権法は言論の自由に資するための制度だということが言えると思います。 著作権法に問題があるとするならば、「現在」の媒体産業の形態や著作物の利用形態に「旧来」の著作権法が対応不全を示し始めているので、時として言論の自由と著作権法が対立する場面が生じることもあるだろうということでしょう。また、法律について正確に知らないために、過剰に危険回避的になり、本来できるはずの言論を自己抑制するようなことも起こっているかもしれません。そうした問題が顕在化しているならば、憲法によって直接保証されている言論の自由を優先して、著作権法を調整することになると思います。これが「これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図り、もつて文化の発展に寄与することを目的とする。」という文言の趣旨だと考えます。
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白田 秀彰 (Shirata Hideaki) 法政大学 社会学部 助教授 (Assistant Professor of Hosei Univ. Faculty of Social Sciences) 法政大学 多摩キャンパス 社会学部棟 917号室 (内線 2450) e-mail: shirata1992@mercury.ne.jp |