英米法系コピーライトに関する歴史的研究(要旨)

* 英米法系コピーライトに関する歴史的研究(要旨) *

白田 秀彰

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1 問題意識

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1.1 背景認識

近年の情報革命と呼ばれるような情報技術の発達のため、大量の情報の生成、蓄積、 利用、伝達が可能となった。この発展の恩恵は個人にもおよび、個人が情報を集め、 検討し、整理し、 発表するという一連の作業をより効率的に行うことができるようになった。

過去における同様の変化は、活版印刷術の登場によってもたらされた。 活版印刷術は結果として、宗教改革とルネサンスという社会変化のきっかけとなった。 というのは、活版印刷術によって、 それまで修道院の書庫にのみ存在した知識が社会のより広い層に与えられることにな り、社会は中世の宗教的抑圧から脱したからである。

同様に、個人が必要な知識をたやすく手に入れることができ、 また自分の知識を必要としている人にたやすく伝達できるようになったとき、 これまで伝えられなかった知識が社会のものとなり、 新しい社会変化を生み出すことになるだろう。

1.2 著作権法の問題点

活版印刷術は、法にも多大な影響を与えたが、その一つに著作権法の誕生がある。 大量複製術である活版印刷術がなければ、著作権法は現れなかっただろう。また逆に、 著作権法制度によって活版印刷術(複製術) が社会に与える影響の質および程度が左右されたことが考えられる。

現代の著作権法は、学問、芸術分野に影響を与えるだけでなく、レコード、映画、 演劇などの商業分野に、あるいは設計図、コンピュータ・ プログラムなどの工業分野に多大な影響を与えるに至っている。というのは、 1961年の「実演家、レコード製作者および放送機関の保護に関する国際条約」で、 著作隣接権概念が生じたときから、著作権法は娯楽・ 情報関連諸産業を規定する法律として位置づけられ、また 1980年代に、 コンピュータ・ プログラムを著作権法で保護するという態度が国際的に主流となった後は、 一般的な産業法規として経済発展に影響を与える立場に至っているからである。

著作権法が与える学問、芸術、産業への奨励効果、 促進的効果は言うまでもなく大である。一方、本来は公共財であるはずの情報が、 著作権法で付与される排他的独占権のゆえに自由に利用できないという場面も生じる。 例えば、(1)出版物に関しては、 絶版にしたままであっても著作権法の保護が50年以上にわたって与えられるために、 その保護期間が切れるまで必要な出版物を購入することも複写することもできない。 また、(2) 娯楽産業では 20年以上の寿命を保つ作品はごく限られているにもかかわらず、 長期間の保護が与えられているために、かえって作品の再利用を阻んでいる。さらに、 (3)工業分野に関係する著作物に関しては、 50年という長期の保護は産業上の独占を正当化し、 産業の発展の阻害要因となる等が考えられる。このように、著作権制度は経済的、 社会的変動に影響される一方で、経済や社会に影響を及ぼしているのである。

技術革新のおかげで、絶版にした書籍は個人がコピー機を使って、 ほとんどそのままの内容で複製することができるようになったし、また、 新しい情報媒体を用いて、すでに使われなくなった娯楽作品を再編集し、 新しい価値を与えることもできるようになった。また一方で、 このような技術自体が高度な知識と情報を主な基礎として成り立っている。 このように、情報革命は情報の利用を促進するものであるし、 また逆に情報の利用を促進することでなり立っている。

ところが、著作権の著作物を保護する手法が、 著作者に排他的独占権を付与するというものであるため、 情報革命と著作権法は衝突を余儀なくされている。というのは、 排他的独占権を付与するという仕組みが、 著作物の利用をできるだけ自由にしようとする、 情報革命の方向性と逆行しているからである。

なぜ、このようになったかを明らかにするためには、著作権に関する歴史的研究、 とりわけ近代著作権制度を最も早い時期に成立させたイギリスの著作権に関する歴史 的研究が必要であると考えた。さらに、 情報革命時代に適合する著作権制度を検討するに当たっては、コンピュータ・ ソフトウェア技術、マルチメディア・ コンテンツの両面にわたって世界を主導しているアメリカの制度の深い理解が不可欠 であると考えた。そこで、本稿では印刷術が発明された時点にさかのぼり、 その後の著作権の発展をイギリス・アメリカ両国にわたって追った。

アメリカはイギリスの法体系を継受しており、コモン・ロー体系を採用している。 しかしながら、近代著作権法の仕組みがイギリスで確立し、 それが著作権制度の未確立だった欧州やアメリカに影響を与えはじめた18世紀末に、 アメリカの13植民地は宗主国への反旗を翻した。それゆえ、 著作権制度の継受については完全でなく、部分的に変更が加えられた。とくに、 著作権制度がよって立つ基本的な理念の部分で変更が行われた。 しかもそれは連邦の所轄事項として合衆国憲法の内容に加えられたのだった。そして、 独立後のアメリカは、国内の特殊事情に対応して、独自の制度を作り上げて行った。 世界的に見れば異質な現代アメリカの著作権制度を理解するに当たって、 イギリスにおける制度の生成、独立戦争当時の法継受の様子、そして、 その後の発展を理解することが不可欠であるとする理由である。

本稿第1部「イギリス編」では、 ギルドの特権を基礎に同業者仲間の取決めとして生じたコピーライト制度が、ギルド (カンパニー)の独占権が時代とともに崩壊していくなかで、自然権を根拠とする 「著作者の権利(author's right)」と結合されて行った様子を示す。また、第2部 「アメリカ編」では、イギリスのコピーライト法の継受の時点で生じた事情から、 現在の「規制理論(regulative theory)」と「所有権理論(property thoery)」 の対立 [1] の源泉となっているコピーライト理論の分裂が生じた様子を示す。また、 19世紀アメリカの「海賊出版時代」 に見られる過剰な市場競争からカルテルが生成されていく様子は、「イギリス編」 で取り上げたギルドの解体の様子と比較しながら検討することで、 コピーライトを基にした独占権がもたらす市場の安定効果について示唆が得られるも のと考える。

ただし、本稿のあつかう時代は19世紀末までである。19世紀末の発明の時代には、 印刷術以外の多様な表現媒体が登場し、それらの新表現媒体に対応すべく、 著作権制度はさらに変容した。この時代以降の著作権制度上の諸問題とは、 多様な媒体への一つの原則の応用の困難さという点にある。それゆえ記述は、 諸媒体を類型化し、それぞれに検討を加えるという複線的なものにならざるえない。 一方、本稿では歴史的発展性に注目しているため、記述は、 時間軸を辿りながらの検討という単線的なものとなる。この理由から、 20世紀以降の問題に関する検討は別稿とするのが適当であると判断した。

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2 本論の整理

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2.1 イギリスにおける営業独占とコピーライト

コピーライトの最初の根拠は、国王大権だった。国王は、コモン・ ローを尊重していたため、すべての事柄が大権のもとに置かれたわけではなく、 コモン・ローの支配しない事項について大権を有したといえる。コモン・ローは、 中世に起源を持つ判例を中心とした法体系であるため常に先例を必要とした。そこで、 新しく導入された技術、およびそれに付随する法の変動は、 国王大権のもとに置かれた。

この印刷術への国王の関与のため、 後に出版それ自体について国王が管轄権を持つと考えられるようになった。また、 新しい有用なものを王国内にもたらした人物に特権を与えるという開封勅許状の目的 に照らして、新技術への輸入・ 発明特許と新しい著作への出版勅許はまったく同一のものとして把握されていたと見 て間違いない。

一方、印刷術を生業として生活する人々が増えると、 営業利益についての保護が必要になった。というのは、 当時の書籍市場が小さかったため、ある作品を同時に複数の業者が印刷すると、 それらの業者のいずれもが十分な利益を獲得できなかったからである。そこで、 印刷業者個人の営業利益を保護するために、 特定の出版物の独占出版を認める開封勅許状が国王から与えられた。

一方、同時出版による「共倒れ」を避けるための方法としては、 それぞれの業者が取決めを作り、 ある作品の出版を一つの業者だけに割り当てるという方法も考えられる。しかし、 それぞれが競争者でもある同業者たちが一致した取決めを作ることは容易ではない。 ところがイギリスの場合、外国人職人は、市民権を獲得しない限り、 イギリス国内で就業できないとした法律の効果のため、 市民権獲得の一つの有力な方法としてロンドンのギルドへの加入が促進され、 すべての印刷業者がロンドンに集中するという状況が生じていた。そこでは、 交渉のための費用が非常に小さかったために効率的に取決めを作ることができた。 こうして書籍業ギルド内部でコピーライトが生じた。

それは、作品を「割り当てる」仕組みだったから、 誰がどの作品を印刷するのかを明確にしておく必要があった。 そこで登記制度が発生した。ただし、 書籍業ギルドが勅許状によって全国規模の営業独占を持つ書籍業カンパニーへと発展 して、組織内部の情報交換が効率的になると、 コピーライトの帰属についてそれぞれ互いによく知りえたので、 登記制度は紛争を未然に防止するために必要なかぎり行われた。

印刷業者の生活の糧はコピーライトで保護された「作品の独占権」 から生じていたから、印刷業者がそれらを財産として認識したのは当然である。ただ、 その財産がどのようなものであるかについて、彼らはあまり追求することなく、 一般に「人的財産」あるいは「自由土地保有権」などとの類推で把握していた。 この財産権はカンパニーの内部の取決めであるから、コモン・ ロー上のものではなかった。しかし、印刷業がカンパニーに独占されていたため、 イギリスで合法に印刷業を営む人々はすべてカンパニーの構成員だった。このため、 実質的に「全イギリス」で有効だったとも見ることもできた。

2.2 イギリスにおける出版統制とコピーライト

書籍業カンパニーの営業独占は国王大権に基づき、また、 個人への独占出版勅許もまた国王大権に基づいていた。 そしてカンパニー内部での取決めであるコピーライトにしても、 カンパニーの営業独占を基礎とする限り、やはり国王大権に基礎を置いていた。

ところが、独占が不法なものであるという認識が生じると、 これらの特権が揺らぎはじめる。また、 収益の高いコピーライトや特権を保有した構成員は裕福になり、 そうでない構成員は貧しくなった。 こうしてカンパニー内部での富裕層と貧困層の分離が始まると、 富裕層の保有していたコピーライトや特権への内部的批判も強まる。 こうして内外から、書籍業カンパニーの諸特権、 ひいてはコピーライトへの攻撃が強まった。

そこで、この攻撃への対処として二つの手法がとられた。内部的には、 コピーライトや特権を集合し、 そこから生じる営業利益を多数の人物で分配するルールを確立することで、 コピーライトや特権の存続を支持する人物を増やし、 コピーライト制度自体を安定化することをはかった。外部的には、 出版統制を必要としていた政府と結合し、 書籍業カンパニーが必要としていた海賊版の出版取締と、 政府が必要としていた反政府的文書の出版取締を同一化することで、 カンパニー内部のコピーライトによる独占出版権をカンパニーの外部にも及ぼすこと をはかった。

この試みは成功し、書籍業カンパニーのコピーライトは、検閲法、 すなわち法の権威に基づいてカンパニーの外部にも適用された。そして、 王位空白期に国王大権が停止したことで、 国王大権に直接の基礎をおく勅許状の根拠が薄弱になると、 いっそう検閲法とコピーライトとの結合は強化された。

2.3 イギリスにおける権利としてのコピーライト

ところが、独占に続いて、検閲もまた不法なものであるという認識が生じた。 さらに王位空白期に営業独占が完全に崩壊したために、地方の出版業者、 あるいは外国の出版業者との競争に直面することになった。そこで、 ロンドンの書籍業界の有力者たち、 なかでもコピーライトを独占していたコンガーたちは二つの方法をとった。第一は 「学問の振興」を名目として制定法によるコピーライト保護を確立することであり、 第二は「著作者の権利」 を名目として判例法によるコピーライト保護を確立することだった。

これらの両者は、いずれにしても同一の論法で正当化された。すなわち、 学問の振興には著作者の利益を保護する必要がある。 その利益を生み出すためには書籍業者が本を出版することで利益を挙げなければなら ない。そこで書籍業者の利益は守られるべきである。そのためには、 コピーライトを保護する必要がある、というものである。 そこでは出版業者の利益保護のための仕組みであるコピーライトと「著作者の権利」 が一体のものとして結合されている。

議会も世論も、著作者が自己の作品についてもつ優越的な地位については認めていた。 そこで議会は著作者が自己の作品について保有する財産権を承認し、 一方でコンガーのコピーライト独占をつき崩すために 1709年法を制定した。 ところが1709年法で権利の内容について明確に規定していなかったために、 コンガーたちは自分たちに有利な解釈を裁判所に認めさせようとする。ここでもまた 「著作者の権利」がもち出される。自然権に基づいて著作者が保有するというコモン・ ロー上の財産権を主張することによって、 コピーライト独占を禁止するために1709年法に盛りこまれたコピーライトの保護期間 を、実質的に永久のものとする試みがなされた。しかし、 この試みは議会によって阻止された。議会はコモン・ロー上の財産権を認めず、 コピーライトの保護は「著作者に一般的に与えられる特許」として、 制定法に基づいて一定期間のみ与えられるものとなった。

この議会の決定に対してコンガーたちは二つの方法をとった。 第一は業界内で維持できる範囲でコピーライトを実質的に永久の権利として取り扱う ことである。このため、 業界内でコピーライトが維持できなかった多数の古典が安価に自由出版され、 イギリスの読者層を拡大した。このことで、 かえってイギリスの出版業界は繁栄することになった。第二は宣伝である。 書籍業界は自分たちの利益が「著作者の権利」の基礎となる、 という主張を裏付けるために人気作家に莫大な執筆料を与えた。実際、 人気作家のコピーライトから生じる収益は、 17世紀末から十分に著作者を富裕にするだけ生じていた。ただ、 それが支払われるようになったのは、18世紀末以降のことになったということである。

2.4 アメリカにおけるコピーライトの継受

アメリカでは、1780年代に至るまでコピーライトについて考慮する必然に乏しかった。 とくに、広大な市場と、増大し続ける需要を背景に、アメリカの出版業者たちは、 競争状態にあるというよりは、「相互の義務の感覚」 と呼ばれる不文のカルテル関係にあったと考えてよいだろう。また、 イギリスと通用語が同じだったため、 イギリスの作品を海賊出版して収益を挙げるという途があった。このため、 強力なコピーライトの保護は、むしろ出版業界にとっては邪魔な存在だった。

そうしたアメリカでコピーライトを必要としたのは、著作者たちだった。 イギリスとは異なり、 コピーライト保護の請求が著作者本人から行われていたことにアメリカのコピーライ トの特徴がある。アメリカでは、多数の出版業者が「互いの義務の感覚」 のもと共同して著作者を貪ることが可能だった。これがマディソンが指摘した 「少数者が多数の人々のために犠牲にされることを怖れなければならない」 という言葉の意味である。こうした事情を背景にして、アメリカでは、 コピーライトは、まさに「著作者の権利」として成立したともいえる。 そうだからこそ、 アメリカのコピーライト理論は容易に自然権理論とも結合することができた。

制度の仕組みはイギリスからの移植、 理論の基礎は自然権理論という特殊アメリカ型コピーライト理論であるがゆえに、 アメリカのコピーライトは鵺のような不可解な姿で私たちに現れる。 制定法の規定と矛盾する判例が存在したり、まったく異なった理論基盤を持つ 「規制理論」支持者と「財産権理論」 支持者が未だに決着の付かない論戦を続けている根本的な理由はここにある。

2.5 アメリカにおけるコピーライトの展開

17世紀イギリスの出版業における独占は、幼稚産業保護のためのものであり、 市場の成長とともに解体される運命にあった。 加えて一般向け書籍市場らしいものが形成され始めた18世紀初頭には、 コピーライト制度に由来する「認められた独占」が市場に存在しており、 まったく独占が存在しない状態での出版業を観察することはできなかった。 しかしながら、通用語を同一とするイギリス・ アメリカ間に相互の著作物を保護する仕組みが存在しなかった19世紀、 しかも建国以来中心的な書籍業独占主体が存在しなかったアメリカで、 一般向け書籍市場が存在しているにも関わらず、 外国作品の書籍について独占がまったく存在しない状況が生まれた。

この19世紀アメリカの書籍業界では、 激烈な業者間競争が起こり完全競争市場の典型が生じた。 しかしながらこの完全競争市場の結果は、著作者、出版社、印刷社、 読者のいずれにも不幸なものとなっていた。というのは、 作品の内容という観点からは完全に代替可能なそれぞれの生産物(書籍) が複数の供給元から市場に投入された結果、(1) 市場を先占するための時間的競争の激化、(2) 市場を先占するための供給量の不必要な増大、(3) 供給量の増大による生産物の価格の低落すなわち生産者利益の極限までの減少、(4) それに対応して生産物としての品質の低下が生じたからである。

著作者にとって、(1) の問題は作品の内容を高度に洗練する余裕を失わせることにつながり、また(3) の問題は当然に経済的利益を失わせる結果となるだろう。 またとくにイギリス作品の海賊出版が横行するなかで、 アメリカ人著作者たちの出版の機会が奪われたことも、 著作者にとっては大きな損失だった。しかし、このような激烈な業者間競争の中でも、 人気作家は十分な利益を得ることができていたことにも注意しなければならない。 著作者本人の経済的利益という点について考える限り、 人気の程度すなわち実際に彼らにコピーライト使用料を支払う出版者たちとの間での 「交渉力」のみが問題であり、 コピーライト保護の程度が直接的に著作者たちの経済状態に結び付くものでないこと を強調したい。

コピーライトの効果とは、排他的独占権を通じて生産物の供給量の調整を可能にし (1)--(4)の問題が生じることを防ぐことにあるのであり、第一には、 ある作品を大量複製して販売することを業とする媒体産業が存立していくための基礎 を与えることにある。実際、19世紀後半のアメリカ出版業界は、自ら主導権をとって 「国際コピーライト法」を成立させることで、コピーライトが存在しない 「海賊出版時代」に自ら幕を引いたのだった。

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3 結びに代えて/今後の課題

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本論では、イギリスとアメリカにまたがりながら、 15世紀初頭から19世紀末までの約500年間を取り扱った。その記述は、 専ら書籍業の展開とコピーライトの関りに着目した単線的なものであったが、 「コピーライトの本質をその歴史的発展から探る」 という本論の目的は十分に達せられていると考える。 むしろ書籍業界に密着して法の展開を探ったために、 コピーライトの機能と効果を明確に描けたのではないか。とくに、「イギリス編」 における特権から権利への展開の過程、「アメリカ編」 におけるコピーライト概念の継受とその変質の過程は、 現在の著作権法を検討する上で重要な示唆を与えるものと自負する。

イギリスにおけるコピーライトの変遷は、 書籍業ギルドの組織の内部的取決めがギルドの特権の崩壊とともに、 一般的な制度としてイギリスの法体系の中に組み入れられていくなかで展開していっ た。一方アメリカでは、イギリスからの制度の継受の過程で、 その根本理念が曖昧になり、 その曖昧になってしまった根本理念を自然権論をもって補った、 あるいは補おうとしたということが本論では明らかになった。 世界的にも特殊なアメリカ型コピーライト制度は、 イギリスの複雑な歴史と法理論を背景とした制度を、 単純で整理された自然権論の上に再構築したものといえよう。しかも、 複雑な歴史的背景を前提とするイギリスとは異なり、 アメリカは建国の時点から自然権の上にコピーライトが立つものと広く信じられたか ら、実際の法運用で、 まったく2つの異なった基盤に立った論理展開が可能となってしまった。 これが現在まで続く「規制理論」と「財産権理論」の対立の原因である。

筆者自身は「規制理論」の立場にたつものであるが、「アメリカ編」 を執筆して行くなかで、 イギリスからのコピーライト制度の継受の過程を考えるならば、「財産権理論」 にも強固な正当化事由が存在することを確認した。というのは、 アメリカのコピーライトに関する議論には、明示的ではないにせよ、建国の初期から 「財産権理論」を主張しうるだけの社会的・文化的基盤があったからである。本論で、 一見~法律論とは無関係に見える社会的・ 文化的背景をできる限り組みいれてきたのは、こうした「コピーライトの全体像」 を明らかにする目的があったからである。

また、本論では、 ドイツおよびフランスにおける著作権の発生段階における姿にも触れた。 本論の中心的な興味からすれば、付録的な扱いになるのはやむを得ないが、 英米法系コピーライト理論と対立的な要素を多分にもつと単純化して議論されてきた 欧州型著作権法理論の基盤に、 英米法系コピーライト理論と共通の要素があったことが指摘できよう。

以上の検討から、著作権法あるいはコピーライト法の具体的規定 の背景には、理論よりも書籍出版業などの媒体産業の状況や、 発達段階が大きく作用しており、著作権法あるいはコピーライト法の理論 では、媒体産業の多様化・複雑化に対応して多様化・ 複雑化する具体的規定を大きく呑みこむ基盤として、 自然権理論の優位が増大しているのではないかと考えた。しかしながら、 自然権理論は容易に財産権理論と結合し、とくに「イギリス編」でみたように学問・ 芸術への弊害を生み出しやすい。この自然権理論・財産権理論の弊害については、 現在も変わっていないものと考える。

とするならば、次の課題として、現在の「財産権理論」で主張されるような 「観念的絶対的永久の財産権」 という概念を自然権理論をもって組み変える必要があると思われる。そのとき、 大きな指針となるのが、英米法系コピーライト理論ではないだろうか。それは、 「著作者自ら公表することで実質的占有を失った作品についてまで、 排他的権利は主張しえない」という、自然の発想を基礎としている。つまり、 「自然権理論」を基礎とした「規制理論」の構築と体系化である。 次はこうした観点から研究を進めたい。

さらに、本論では興味深い現象を観察することができた。イギリス編では、 まず最初に国王大権に基づいて同業者組合が形成され、 この同業者組合が保有した市場独占を解体する過程でコピーライト制度が発達したこ とが示されたが、アメリカ編では、 まず完全競争市場に近い状況から出版業がはじまり、 激烈な競争の末にカルテルが形成される過程の中でコピーライト制度が発展したこと である。すなわち、「独占から市場へ」と向かう動きと、「市場から独占へ」 と向かう動きがいずれもコピーライト制度の発達という大枠の中で見られたことであ る。それらの動きは歴史的には、それぞれ「ギルドの解体と近代市場主義の展開」 「市場経済主義の末に生み出された自然的独占」と説明されるのだろう。 しかし筆者は、少なくとも出版業とコピーライト制度という関係で言う限り、(1) 出版業にはなんらかの形態での独占が必要不可欠であること、(2) コピーライト制度は出版業の安定して均衡した市場形態を自律的に生みだす機能を持 っているらしいという仮説を得た。次の研究ではこの仮説を整理し、 出版業に限らず媒体産業一般に応用できる理論として構築できるかどうかを検討して みたい。 そうした理論化の末に21世紀型著作権制度の展望が初めて可能になるものと信じる。

Note

[1]
アメリカのコピーライト研究者たちは、 コピーライトの基本的性質についてどのような態度を取るかによって、 大きく2つの流派に分けることができる。一つは「規制理論」をとる論者である。 これは、コピーライトの本質を、学芸振興のための必要悪である「容認されうる独占」 として把握するもので、「コピーライト悲観論者(copyright pessimists)」 ともいわれる。歴史的研究を基本とする論者にこの傾向が強い。彼らは、 学芸の振興という目的に必要な限りで権利は保護されれば足りると考え、 過剰な権利の保護は、後進の著作者たちに過度の制限をもたらすと考えている。 もう一つは「財産権理論」をとる論者である。これは、コピーライトの本質を、 誰のものでもない著作者個人の精神的活動から生み出された最も純粋かつ絶対的な財 産権として把握するもので、「コピーライト楽観論者(copyright optimists)」 ともいわれる。欧州型の著作権理論を基本とする理論家や、 実務に携わっている論者にこの傾向が強い。彼らは、 コピーライトが極めて個人的かつ私的な財産である以上、 この権利を広く保護することは法的な正義であり、これによって、 結果的にコピーライト制度が目的としている学芸の振興が達成されると考えている。

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白田 秀彰 (Shirata Hideaki)
法政大学 社会学部 助教授
(Assistant Professor of Hosei Univ. Faculty of Social Science)
法政大学 多摩キャンパス 社会学部棟 917号室 (内線 2450)
e-mail: shirata1992@mercury.ne.jp