リアル桃鉄2011 茶会チーム

「企画を立てる」「報告をする」"両方"やらなくちゃならないのが
白田ゼミの辛いところだ。覚悟はいいか? 俺はできてる。

というか、なぜ指導教員の私が報告を書いているのかといえば、それは茶会チームには学生が ── いることにはいるが、まあ茶会では「総統は会員の第一の下僕」 であるので私がやることになったのだ。これを書いているのは11月の始め。もはや対戦はおぼろげな記憶の彼方だ。そこで残っている写真を繋ぎ合わせて、対戦の様子を再現してみたい。

とりあえず東京駅の待ち合わせ場所に行くと、茶会チームが勢ぞろいしていた。時間どおり。さすが大人。ここでいったん東京駅の改札から出て、改めて青春18切符の一組である五人で入りなおすのだ。

茶会チーム
参加者のみなさん 待ち合わせ場所の東海道線のホームに上がって学生たちがくるのを待つ。ドンドコやってくる。みんなおおよそ時間どおりだ。えらいぞ。しかしこの後、このゲームでは東海道線は使えず、各駅停車──たとえば山手線等で行かなくてはならないことが判明した。「なんで俺達は東海道線のホームに集まったんだろう」とボヤいたが、実は私が指示していたのだった。

お約束の全員集合写真。この面子+撮影してくれた清水君でゲームが行われます。他チームでも使いまわされている写真ですが、私のところの写真が一番綺麗に縮小されているはず(えへん)。── まあどうでもいいよね。「さあ、ゲームの始まりです」。

全員集合
有楽町 でさ、「優勝とるぞー」「おー!」ってな勢いでさいころ振ったら、どうだろう。「1」だよ。「1」。隣駅だよ。どうしろっていうのさ。しかもさ、有楽町でカード引いたら、「ちい散歩カード」だよ。銀座でさ「田中呉服店」に該当するような店を見つけろっていうのさ。誰だこんな面倒なカードを設定したのは! 私です。ごめんなさい。

で、オジサン五人で銀座で途方に暮れたが、私は知っていた。老舗の仕立屋で「高橋洋服店」というのが絶対に存在するのだ。銀座に。そこで移動中にどうしても該当する店が出てこなかったら、そこに行くつもりだったが、幸いなことに「柳屋酒店」という店を発見して達成! でも写真はたぶん星野君が撮影していて、手元にない。

とかにく歩いて汗かいた。この日は暑かったんだよ。

で、ようやく有楽町駅に戻ってサイコロ振ったら「5」だったような気がする。たぶん。というか、この茶会チームでは、ひたすら「5」が出つづけたような印象がある。他の皆さんも「5 出すぎ〜」と言っていた記憶があるから間違いない。

で浜松町へ。浜松町というば国内線の飛行機に乗る時以外にくることはほとんど無い。そもそも町があるんだろうか、と思っていたら出たカードが「金麦カード」だ。あのねちっこい女優さんの雰囲気をかもし出せるだろうか。

浜松町
金麦のおっさん キヨスクに金麦があれば、話は早い。そこでキヨスクに駆け込んだが、キヨスクにはスーパードライしかない。なぜだろう。なぜキヨスクにはスーパードライなのか。JR関係者的にはスーパードライ押しなのだろうか。まあ、どうでもいい。

浜松町から陸側にでると、微妙な感じの商店街なのか飲食店街なのかわからない町となる。呑み屋さんとしては、鯨屋さんがあったりしてなかなか面白そうなんだけど、酒屋はあるだろうか。あった! コンビニが。コンビニで朝から金麦を買って、さっそくねちっこく笑顔を添えてみた。なんとなく写真がソフトフォーカスになっているのは、岩崎さんのカメラがなぜだか女優仕様になっていたからだろうと思う。

※ この金麦は、阿南さんが美味しくいただきました。

このあと、「暑中見舞いカード」を引いたCチームとすれ違うことになる。彼らから送られた「暑中見舞い」はこの対戦の記念として、私の机の中に保管してある。

浜松町でサイコロの目がなんだったか、もう忘れた。「昨日あなたはどうしていたの?」「そんな昔のことは忘れた」「明日はどうするの?」「そんな先のことはわからない」 こんなセリフの似合う男になろうと思っていたが、たんなる若年性痴呆症かもしれない。

いずれにせよ、事実として我々は大井町で降りることになったのだ。大井町。何があるのか? 競馬場があったような気がする。そんなことはどうでもいい。とにかくここで我々が「水辺カード」を引いたことだけが確かなことなのだ。我々は、駅を出て地図をみて、もっとも確実に水辺に到達できるルートを探した。── そして見つけたのが駅からずーっと「元は川」であった暗渠を進んで、暗渠の出口にいくことだった。

大井町
元・川 なんのことはない公園の通路に見える。しかし、この公園の下にはかつての清流が流れていたに違いないのだ。100年くらい前は。そうそれは、「千と千尋の神隠し」で描かれた日本の原風景との再会の物語なのだ。すみません適当です。嘘です。

蒸し暑い夏の終わり、我々は、人生の空しさとはかなさ、そして来年に迫った世界の終わりについて語り、そして、「この暗渠の下に川があったんだよな」「まったくどこまで歩かせるんだよ」「ああ暑い」「こんなカード作ったバカは誰だ」と言うような下世話な会話をしながらひたすら歩いた。

するとやがて、世界の終わりではなく、公園の終わり、すなわち暗渠がおわり、かつて(100年前)は清流だった川が、やるせなく汚れ疲れた顔をあらわしていたのだった。我々は「世界の終わり」と呼ばれていたものが、思ったよりも壮大ではなく、そして呆気ないものであったことに落胆するだろう。そう思わせる場所で ── そう、我々以外の誰もそこで記念写真など取らないだろう場所で、記念写真を撮ったのだった。

世界と公園のおわり
東神奈川 もはや、サイコロの目のことなどどうでもいいことに、読者は早くも気がついたことだろう。そう。事実として我々は東神奈川駅に降り立っていたのだ。かなり歩いて疲れ果てた我々が、ようやく涼しい電車の中で文明というものについて思いを馳せる余裕を回復したことだけを覚えている。「ああ電車サイコー!」「エアコン発明したやつ偉すぎ」という言葉が自然に語られる環境においてこそ、人は人たりえるのかもしれない。

ところで読者は「東神奈川」と聞いてなにを思い出すだろうか。「乗換駅」「やたら長い通路のある乗換駅」というものではないだろうか。それ以外の何者も私の脳裏には浮かばなかった。

ここで我々が引いたカードは、またしても「ちい散歩カード」だった。そんなに君たちは「ちい散歩」が好きなのか? そうか、そんなに好きなら、もっと散歩しているがいい! という声が小さく聞こえたような気がした。とにかく、「横田材木店」に該当するような名前の店を探さなくてはならない。が、東神奈川駅周辺には、これといった商店街のようなものが存在しないのだ!

我々は住宅街の中をとぼとぼと歩き、古い店の残骸のようなものを見つけては、駆けより、そして落胆したのだった。昼食の時間が近づき、チェーン店っぽい新しいお店での食事が我々を誘惑する。「ああ腹へった」「横浜で何か食べましょう」「駅弁だとタイムロスがないよね」などと語り合っていた。

絶望的な気分になったとき、誰だったか忘れたが「〇△!?※」と声にならない声を挙げて指を刺していた。私も心の叫びを挙げて指さしていた。そこには、「榊原時計店」という、これ以上望むことのできない看板が存在していた。

榊原時計店
山手駅 東神奈川を発った我々は、横浜で駅弁 ── それはほぼ自動的に崎陽軒のシュウマイ弁当であることを意味していたが ── を買うことにした。すると、星野君が「根岸線が…」とかなんとか言い出した。何のことかよくわからなかったが、要するに横浜でサイコロを振って、なにかの目が出るとそのまま直進できるが、そうでなければ根岸線というまったく未知の路線を進まねばならないらしいルールがあることを知った。もちろん、こんなメンドウなルールを作ったのは、星野君である。

で、我々が普通の横一列座席の電車の中で弁当を食べ、降り立ったのが「山手」という、こうした企画でなければ、決して立ち寄ることのない駅だったことからわかるように、我々は根岸線を進むことになったのだ。ただでさえ、歩くカードばかりで遅れているのに、遠回りになる路線に入ったことで優勝の目はなくなったな… と諦めた。

山手では、駅から降りずに済んだような気がするので、きっと駅から歩かなくてもいいようなカードを引いたに違いない。たぶん、「次の目から幾許か引く」というような趣旨の内容だったような気がする。我々は、「ああ、ちい散歩カードや水辺カードでなくて本当によかった」と思った。山手の付近には住宅しかないように見えたからだ。

そして、我らは根岸駅に降り立った。相変わらず岩アさんのカメラは、湿気が侵入したのか全てソフトフォーカスな映像で、オッサンたちが無駄に夢見ごこちな雰囲気に映っているのがキモいが仕方が無い。

根岸駅
Bチームとの邂逅 根岸駅で引いたカードがなんだったかは覚えていない。が、少なくとも駅から出なくてもよいカードだったはずだ。反対方向の電車、すなわち戻る電車から一団の若いモンが降りてきた。こんな静かな昼下がりの駅のホームで彼らは目立った。これがBチームだった。どこかで逆戻りカードを引いて戻ってきたらしい。

久々に同じようなバカバカしい運命に翻弄されている人々と出会い、不可思議な連帯感と喜びを感じたものだった。

あまり根岸と雰囲気が変わっていない。そう。それはあんまり進んでいないから。到着しているのは磯子だ。かなり以前に二度きたことがあることに気づいた。まだ横浜プリンスというホテルが存在していたころに二回だ。始めは Welcom という会社でアルバイトをしていたころに、合宿研究会が開催されて泊ったことがあった。二回目は ised という研究会の合宿シンポジウムがあって、そこに招待されて来たことがあった。かつては海水浴などもできたらしい浜は埋め立てられ、工場地帯となった。こんなところにリゾートホテルがあっても仕方が無かったのだろう。

磯子駅
おにぎりワッショイ 磯子で引いたカードは明確だ。「おにぎりワッショイカード」であることは間違いない。というのは、ここで撮影された写真に、この上なく楽しそうに「おにぎりワッショイ」をやっている私たちの姿が記録されているからだ。改めて思う。この日最高の笑顔は「おにぎりワッショイ」において発揮されている。人はおにぎりをもって踊ると幸せになれるらしいことを確認する。日本国万歳!稲作文化万歳!は我らの身体性から導かれるのかもしれない。

第一回白田ゼミのリアル桃鉄のゴールであった大船駅。岩崎さんの不動の体勢と正面を見据えた姿に、宗教都市鎌倉の影響が見出される。そうここには、大船観音というデカい仏像もあるのだ。

ここで引いたカードは「スケッチカード」。絵心代表として、私が大船駅から見える大船観音の横顔をスケッチし、送ったところ、たちどころに「大船観音でしょ」と認識されて「ヘタだ」とは帰ってこなかったのでOKとなった。肝心のスケッチの画像が見当たらない。だれか持ってるはず。

私の記憶では、もうこのあたりでCチームが優勝を決めつつある状況だったので、「ああ今年もあっさり終わってしまった」 という気分が出てきていたことをなんとなく覚えている。

大船駅
たぶん大磯駅 なぜだか次の停車駅の看板写真が見当たらない。まあいい。細かいことだ。私の記憶が確かならば、我々は大磯ロングビーチで知られる大磯駅に到達したのだ。そしてそこで引いたカードが「ライダーカード」。多くの人がバスを待つ駅前ロータリーの真中のモニュメントの前で変身ポーズを決めなければならないという、かなり過酷なタスクだ。

で、茶会員(20歳、30歳〜40歳)で変身ポーズをさせたところ、ご覧のようなヘナチョコ具合で驚いた。若い者がよく知らないのは仕方が無いとして、30歳や40歳の人間なら、変身ポーズの一つや二つ、当然の様に身につけていて然るべきはずだ。日本の劣化はこういうところから始まっているのだろう。

まさか、バスを待っているオジサンやオバサンや女子高生から注がれる視線の圧力と、自らの心の弱さからくる恥ずかしさに負けたわけではあるまいな?

変身連続写真
模範演技 そこで、仮面ライダー2号が登場したあたりから、かろうじて記憶のある初代ライダー世代である私が、気迫と腰の入った変身ポーズの模範演技をすることに。他人の視線などまったく無視して行われる全力の叫びと全力のジャンプが、大磯駅を凍りつかせた。

そうしてようやく小田原駅到着。すでにCチームがゴールしていた。我々は二位ということだが、別に二位だからといって何か特別なことがあるわけではない。暑さに疲れていた私は、小田原駅につくや否や、先に到着していたCチームのことはあまり気にせず、ビールの飲める喫茶店またはそれに類する店を探すことばかり考えていた。

それから一時間ほど昼間の居酒屋でビールの祝杯をあげたあと、A、Bチームが小田原に到着し、表彰式と閉会式へと進むことになる。

小田原駅
全員集合 というわけで、全員揃ったあたりで、優勝チームを表彰し、トロフィーを手渡した。多くの若者が、小田原駅改札前に集まり、記念写真を撮り、トロフィーまで出てきたのをみて、近くで小田原の名産品を紹介していた、小田原市経済部長の山崎佐俊氏に声をかけられ、名刺交換をすることに。── パッと考える限り、我々が小田原の特産品に貢献できそうに無いのがまことに残念だが、きっとそのうち小田原の産業振興に貢献できるようなリアル桃鉄へと進化することを期する!

こうして、2011年の「白田ゼミのリアル桃鉄」も終了し、この後私たちは、箱根登山鉄道で富士屋ホテルへと移動したのだった…